京都駅まで辿り着いときゃメシは食える。
どーもこんばんは
さてさて、2月9日はいよいよサンガスタジアム by Kyoceraのこけら落としマッチとなるプレシーズンマッチ、京都サンガFCvsセレッソ大阪の試合が行われます!
思えば、これまでは西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場をホームスタジアムとしていたサンガのスタジアム建設までの動きは実に長い年月を要しました。まさしく2月9日はクラブとしての夢が叶う一つの瞬間であり、歴史に刻まれる一日となります。
それで今回は、改めてサンガスタジアム完成に至るまでの道のりを振り返っていきましょう。(詳しい事はサンガスタジアム by KYOCERAのWikipediaページ参照。)
①そもそもの構想のきっかけと日韓W杯&大阪五輪での招致失敗(1995〜2003)
そもそも最初に「京都にサッカースタジアムを」という動きが見られるようになったのは1995年、日本が2002FIFAワールドカップ開催国として名乗りを挙げ、招致が実現した際の国内開催都市として京都府が立候補した事が始まりでした。世界でも有数の観光都市としてW杯招致を狙う京都府は、城陽市の木津川右岸東部丘陵地西端部に収容人数43000人を想定した「京都府立木津川右岸運動公園」の建設を1995年1月に発表し、1996年3月に事業認可が降ります。
しかし、1996年6月にW杯の日本招致自体は実現したものの、それが韓国との共同開催になった事が立候補都市に与えた影響は大きく、12会場を予定していた開催都市は10会場に減り、かつ1会場が開催出来る試合も減った事で計画に遅れと躊躇いが出始めた自治体もちらほら。そんな中で京都府も例外ではなく、最終選考に於いて既に神戸市立中央球技場(後のノエビアスタジアム神戸)の改築案が具体的になっていた神戸市に敗れて日韓W杯の京都招致に失敗し、ここでまずスタジアム建設の動きが一度滞ります。
http://www.pref.kyoto.jp/koen/documents/16810132.pdf
W杯招致失敗により一旦スタジアム計画は滞ったものの、計画が白紙に戻った訳ではありませんでした。というのも1994年1月、当時の大阪市長である西尾正也氏が2008年の夏季オリンピック開催都市に大阪府として立候補する事を表明したのです。
基本的には一都市開催を原則とするオリンピックですが、サッカーに関しては大阪以外の都市でも開催する事が慣例となっています。今年の東京五輪なら札幌ドーム、宮城スタジアム(ひとめぼれスタジアム宮城)、茨城カシマスタジアム(県立カシマサッカースタジアム)、埼玉スタジアム2002、東京スタジアム(味の素スタジアム)、日産スタジアム(横浜国際総合競技場)…という具合に。その事もあって、京都府は前述の京都府立木津川右岸運動公園を大阪オリンピック・サッカー競技開催会場として、スタジアムの規模を少し縮小するなど計画を練り直した上で改めて建設を発表したのでした。
…しかし、結果はご存知の通り、2008年の夏季オリンピックの開催地は中国の北京に決定。大阪がオリンピック招致に成功する事が前提とも言えた計画は改めて収益面などの問題が突きつけられ、結局2003年7月に京都府立木津川右岸運動公園の建設計画そのものが凍結。京都スタジアム完成に至るまでの第一章とも呼べる部分が消滅したのが今から16年半前となります。
②迷走する建設地選定
とはいえ、日韓W杯の盛り上がりや日韓W杯以降のJリーグ全体に於ける観客数の増加、更には埼玉スタジアムや豊田スタジアムといった球技専用スタジアムが多く稼働するようになり始めた時代の流れもあって、木津川右岸の計画は無くなれどサッカースタジアム建設構想自体は検討され続けていました。2003年1月1日、サンガが天皇杯で優勝する事になる日の朝刊に於いて、京都市が伏見区の横大路運動公園の一部を提供した上でサンガ側が建設を主導するサッカー専用スタジアムの構想が報じられると、サンガの天皇杯優勝にも後押しされて2002年8月から始まっていたスタジアム建設の署名運動は35万人を超える事に。しかし…ここから京都府と京都市は京都市でのスタジアム建設を基本線とした上で建設地の選定に入るものの、ここから長い長い迷走が始まる事になります。
2004年、京セラの稲盛和夫名誉会長などが私財を提供する形で横大路運動公園にスタジアムを建設する事が一度自治体と経済界の間で合意を得たものの、表面での折り合いが付かずに京都市会の同意が得られず建設が中止に。2005年には「京都市等によるスタジアム検討委員会」が設置されて動きは加速するものと思われましたがむしろ迷走っぷりが増すばかりで、前述の横大路運動公園の案が再浮上してもアクセスが絶望的に悪く、この問題を解消する為には京阪電鉄が新駅を開設しなければならない…実現は2020年頃と見立てられた事で「交通アクセスなどの面から整備は困難」「維持管理費などで年間1億3,000万円余りの赤字が見込まれる」などを理由に横大路案はまたも断念。
次に浮上したのが共に京都市で、下京区の梅小路公園や左京区の京都府立植物園の整備の一環としてのスタジアム建設でしたが、植物の移植などの問題からこの案も具体化する前に立ち消え。一方、京都市はスタジアム建設の難航の最中である2007年に伏見区に伏見桃山城運動公園を建設した辺りから、サンガを始めとしたスタジアム建設推進派と京都市の間に若干の溝まで生まれ始める事態となりました。
その後、スタジアムを建設するのでは無く、サンガの現行のホームである西京極陸上競技場に球技開催時は球技専用スタジアムのような形に出来る可動スタンドや2階席の設置を含めた改修工事案も生まれましたが、この時点で京都府内でJリーグを開催できるスタジアムは西京極しか無かった為に改修工事中の代替施設の目処が立たない事で改修案も断念。京都市での建設が困難になってくると、今度はサンガ側が当時の山田啓二京都府知事に「太陽が丘(宇治市の京都府立山城総合運動公園)に新スタジアムを建設したい」と協力を仰いだもののこれも立ち消え。そして遂に2010年には「京都市がスタジアム建設を断念」と報じられるハメになったのでした。
③ようやく決まった建設地
京都市のスタジアム建設断念が報じられた事を機に、京都商工会議場を中心に「京都・サッカースタジアムを推進する会」が発足し、スタジアム建設を求める約47万人もの署名が集まった事を受け、京都府はスタジアム建設検討を再開。2011年には敷地の無償提供を条件に候補地を募集します。これに立候補したのが亀岡市、舞鶴市、京丹波町、サンガのクラブハウスと練習場(サンガタウン城陽)の位置する城陽市、そして一度断念した横大路案で再び立候補した京都市の全部で5つ。
2012年5月には舞鶴市と京丹波町が落選し、亀岡市、城陽市、京都市の3都市に絞られ、ようやく建設地が決定したのは木津川右岸の建設計画が持ち上がった時から実にほぼ18年の月日を経た2012年12月26日。球技専用スタジアムが亀岡市に建設される事が正式に決定しました。
④アユモドキ問題及びその他問題浮上
しかし、2012年末に亀岡での建設が決まった事で、さあこれから具体的な建設計画を!…となった事で、今度は決まったら決まったで浮上してくる新たな問題が出て来ました。
2004年に種の保存法に基づく国内気象野生動植物種に指定された「アユモドキ」は亀岡市に500〜1000匹ほど生息しているとされているのですが、スタジアム建設予定地がその生息地にあたるとして「用水路の大部分を埋め立てると、甚大な悪影響を与える」という件が指摘されるようになりました。これに対して地元の保津町自治会はアユモドキの産卵環境は人為的に作った農業用灌漑ダムによって既に用意されており、公的管理による共生ゾーンを作るという当初のスタジアム案を主張。一方で日本魚類学会は共生ゾーンを「市の希望的な目標に過ぎない」とし、計画の白紙化と再検討を要請するなどスタジアム建設側と真っ向から対立する構図に至ります。
これに対して建設地の当事者とも言える保津町自治会は、長年に渡って同地域がアユモドキの渇水対策や密漁対策、環境に配慮した農業などに取り組んできた事を主張し、他地域でのアユモドキ絶滅には学会など専門家の責任も大きいはずであるにも関わらず、その専門家が僅か550世帯にすぎない同地域に保護の負担と責任を声高に押し付けることは無責任である事を主張した上で、農業者と地域住民にとってもアユモドキの為に将来の希望であるスタジアム建設が閉ざされることになってはいけない、スタジアム建設を希望と捉える同地域はやりきれない…と表明。これに対して学会はスタジアム建設に必ずしも反対ではないとした上で他地域での絶滅の責任については反省と今後の努力を表明しましたが、具体的な回答は抽象的な表現に留まるなどここに来て再びスタジアム建設は混沌とした状態に陥ります。同時に亀岡に建設地が決まった事はいいものの、スタジアム建設後にメインとしてこのスタジアムを使う事になる肝心のサンガが一向にJ1に上がれない事で採算面での懸念も生じ始め、アユモドキに関する環境調査の影響もあって、2016年4月に予定されていた着工に間に合わない事が濃厚に。加えて、Jリーグが導入したクラブライセンス制度では西京極はスタジアム基準を満たせていないという事にもなり、様々な問題に直面しながらも、着工をこれ以上遅らせる訳にはいかない事態となりました。
⑤そして着工へ…
アユモドキについての影響調査分析は当初予定よりも長引き、それによって起工にも遅れが生じている事から亀岡市は2016年8月24日、アユモドキの環境保全とスタジアムの早期完成を両立すべく、スタジアムの建設予定地を当初予定の京都・亀岡保津川公園から既に都市計画区域内となっていたJR亀岡駅北側の土地区画整理事業地に変更する事を正式に発表。これにより、スタジアムそのものを亀岡駅周辺の都市開発計画の中に組み込んでしまう事で結果的に「超駅近」と呼べる位置にスタジアムを建設する事が可能になり、京都府や内閣府の財政支援の約束も得て、翌年には京都府議会や亀岡市議会で予算案も成立した事で建設計画はここから一気に具体的に進んでいきます。9月30日には経済産業省が地域未来投資促進法に基づいて支援を行う地方自治体の計画の第一陣を公表し、当スタジアムがスタジアム・アリーナ関連で地域未来投資促進法の支援を受ける国内初のケースに選定されるなど、2017年には行政上の手続きや計画案が一気に進み、更に追い風になるかのように2018年4月19日はスタジアムオープン予定となる2020年の大河ドラマが亀岡市も舞台になる明智光秀を軸にした「麒麟がくる」になる事も決定。
そして2018年1月20日、当初の計画から23年の月日を経てようやく着工の時を迎え、2019年にはスタジアムの正式名称が「京都府立京都スタジアム」に決定。6月25日は京セラがネーミングライツを取得し、スタジアム名が「サンガスタジアム by KYOCERA」になる事が発表され、工事開始から約2年後の2020年1月11日に竣工しました。
木津川右岸での最初の計画から実に25年。ようやく完成した京都の球技専用スタジアムでサンガが新たな一歩を踏み出します。
日韓W杯の開催都市落選、大阪五輪招致失敗に始まり、建設候補地の難航や亀岡に決まってからのアレコレなど多くの苦難はありましたが、このタイミングで亀岡が舞台にもなる大河ドラマが始まるなど、これまでの苦難を取り返すかのようなタイミングの妙にも包まれ、2020年2月9日は様々な軌跡の上にようやく辿り着く念願の日です。そのこけら落としがどんな結果になれど、この日刻むものの全てが色褪せる事は無いでしょう。色んな意味を含んだ「キックオフ」の言葉まで後数日です。
…ファーストゴールがオウンゴールだけは勘弁してね?
ではでは(´∀`)