舞台としては出来過ぎたシチュエーションだったと思う。
この日、10月1日はガンバ大阪のクラブ創立記念日だった。よりにもよって相手が日立の柏レイソルだったこの日に「パナソニックパートナーデー」をぶつけてきたのはそれゆえであろう。
そんな特別な日に……そんな特別な日に、宇佐美貴史が帰ってくる。しかもこの日から、ホームでの声出し応援が復活した。ウォーミングアップが始まった瞬間に鳴り響く、聴き慣れたけどどこか遠くに行っていた宇佐美貴史のチャント……。本人は当然1試合でも早い復帰を目指していただろうからそんな訳はないのだけれど、まるで全てが図ったようなタイミングにすら感じた。
舞台は整っていた。
だが、それでもその舞台に映える結末は用意されてはいなかった。
現実は直視しなければならない。それは間違いない。不運に全ての責任を負わせたところで現実逃避にしかならない。それでも今年の……今年のというか、ここ数年のガンバはどこか、神という神に見捨てられているような感覚すら覚える季節が続いている。…いや、季節という表現も間違っているか。春が来ようが夏が過ぎて秋が訪れてもそれは変わらなかった。見捨てられ、見放されたかのように苦境は続いた。綺麗事を好めば「明けない夜はない」だとか「止まない雨はない」だとか使える手垢のついたセリフは多いが、雨なんてそのうちまた降るし、夜が明けたところで明日も夜は来る。
ただ、そんな神に捨てられたようなガンバでも、まだ拾う神はこのクラブを諦めていないのかもしれない。捨てる神あれば拾う神ありとはよく言ったものである。
神神神神……随分何かに傾倒しているようなスタートになったが、このブログはそういう系では無いのでご安心あれ。
本日のスポーツ観戦日記は2022年10月1日にパナソニックスタジアム吹田で行われた明治安田生命J1リーグ第31節、ガンバ大阪vs柏レイソルの観戦日記である。
オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。
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スタジアムに行く者も、行かない者も、どこか不思議な感覚を感じてこの日を迎えたと思う。
代表ウィークで2週間空いたとはいえ、誰もがあの忌まわしき神戸戦の記憶が生々しく残り、その傷口は差し迫った危機として膿化していくような気分だった。
ただその一方で希望はあった。それが宇佐美貴史の復帰である。希望というよりは、ガンバに残された最後のカード…と表現した方が正解だろうか。
神戸戦の前の時点で練習に宇佐美が合流したという報道があり、その時点で復帰のカウントダウンは現実的に進んでいたと思う。神戸戦に出場しなかった時点で、おそらく皆がそのXデーが柏戦である事を確信したはずだ。
そして13:50である。ガンバ大阪公式Twitterの投稿で、カウントダウンの秒針はその速度を確かな数字とした。
🔵STARTING LINE-UP⚫️
— ガンバ大阪オフィシャル (@GAMBA_OFFICIAL) 2022年10月1日
🏆明治安田生命J1リーグ 第31節
🆚@REYSOL_Official
🗓️10/1(土)
⏰16:00
🏟️#パナソニックスタジアム吹田
試合を観るなら▶️@DAZN_JPN
登録は▶️https://t.co/dnJWffVA2Y #ガンバ大阪 #GAMBAOSAKA pic.twitter.com/ze0bhrgLTa
万博記念公園駅でモノレールを降りて改札に向かうと、真っ先に宇佐美ののぼりが目に入ってくる。
この写真は別のホームゲームの時の写真ではあるが、東口順昭と並んだこののぼりを見ると、これからスタジアムに向かう事を実感させられる。
だがこれまでは、宇佐美ののぼりだけが目に飛び込むのに、宇佐美だけがそこにいなかった。
今日こそ、今日こそ名実ともにこの宇佐美ののぼりを見てスタジアムに向かう事が出来る……
なんで今日に限ってレッドブルの宣伝やねん。
なんで今日に限ってレッドブルの宣伝やねん(2回目)
※ちなみにこのレッドブルのレースイベントはスポンサーするセレッソ大阪とのコラボカーが万博記念公園を走る中々カオスなイベントです。詳細はこちらへ
冗談はさておきスタジアムin。
そして何と言っても、この日はガンバ大阪が2020年2月16日以来となるホームでの声出しが叶った日でもあった。この2020年2月16日の対戦相手は他でもない柏レイソル。その事もどこか運命的で、どこか因縁めいた何かを感じる。
ウォーミングアップに出てきた選手達を最初に迎えたチャントは、ガンバファンのDNAに刻み込まれたようなあのチャントだった。
2022年のガンバ大阪にとって、運命の歯車が残酷なほどに狂い始めた第3節川崎戦の後、中学時代に"宇佐美貴史という存在"に挫折を覚えた過去を持つ昌子源は自身のコラムでこう綴っていた。
あの試合はガンバにとって違う意味で重く刻まれた試合になりました。貴史(宇佐美)の負傷交代のシーンはきっと今も皆さんの頭の中に鮮明に残っているのではないでしょうか。あの瞬間、チームに、スタジアム全体に感じた『動揺』は大きく、だからこそすぐに「切り替えろ!動揺するな!やることは変わらないぞ」と自分も声を荒げましたが、本当のところ、それは僕自身の動揺を落ち着かせるためでもありました。そのくらい、チームに走った激震は大きかったと言えます。と同時に、あの時スタジアム全体に漂った動揺は、ある意味、ガンバにおける宇佐美貴史の存在の大きさを示していました。
片野坂監督解任の際に書いたブログでは"キープレイヤーとして"の宇佐美離脱が与えた影響について語ったが、そもそもガンバ大阪というクラブにとって、宇佐美貴史の離脱は単なるキープレイヤーの離脱という範疇に留まらない。留まるわけがないのだ。
ガンバファンにとって宇佐美貴史は、彼自身が万博記念競技場のゴール裏に通うような少年だったという軌跡を知っている。そんな少年が天賦の才を持つ少年だった訳で、存在そのものに募る想いが大きくならない訳がない。プロキャリアより前の時点で、彼のストーリーは実に特別な存在たらしめており、宇佐美貴史以上に「ガンバ大阪の申し子」という表現が相応しい選手は後にも先にも出てこないだろう。宇佐美家には幼少期の宇佐美貴史と松波正信や稲本潤一といった当時の選手とのツーショット写真がアルバムに収められているというが、その全てがこのクラブの歴史の血脈を示している。
視点を選手に変えると、また違った意味合いが出てくる。
ガンバユース出身の堂安律や食野亮太郎は今なお宇佐美を自身のアイドルとして憧れと尊敬の念を隠さず、福田湧矢らは宇佐美を師と仰ぐ。そういう後輩にも慕われる憧れや尊敬とはまた別の視線を持つのが同世代の選手達で、いわゆるユース世代の頃、宇佐美は都市伝説レベルで驚異的な選手として認識されていた。小野瀬康介は今でこそ宇佐美と公私共に仲が良いことで知られているが、プロデビューを果たした頃は宇佐美を遥か遠くの、自分とは違う世界の人間として認識していたという。前述した昌子は夢と希望を持ってガンバJrの門を叩いた中学時代、宇佐美貴史という今までの自分の常識では想像できないほどの才能に直面し、全ての自信を打ち砕かれた過去を持つ。昌子がその葛藤に直面していた頃、母は「大きくなったら宇佐美君にパスを出すのはあんたやで」という表現で励ましていた事はよく知られたエピソードだろう。
ファン・サポーター・後輩・同年代……それぞれに視点があり、その捉え方は少しずつ異なるが、宇佐美貴史という存在の特別はその共通項だった。あの怪我から7ヶ月……パナスタに声が戻った31回目のクラブ創立記念日に、キャプテンマークを巻いた宇佐美貴史が列の先頭でピッチに入場してくる。その姿はどんな物語よりも美しかった。
さて、試合である。
基本的に4-4-2の陣形は絶対的に維持しながら戦う松田浩監督体制のガンバだが、2トップの一角として入った宇佐美は比較的動き方に自由を与えられており、その動きに合わせてファン・アラーノや食野亮太郎とポジションを交換しながら常にボールの起点となっていた。ターゲットとはまた異なる、いわゆるコントロールタワー的な役割を宇佐美が出来たことでボールの周りは良くなり、前半のガンバはなかなか可能性のある攻めを繰り出せていたと思う。
一方、柏の攻撃に対しては4バックがしっかりと陣形を組み、昌子源と三浦弦太のCBを中心に低めのラインをどっしりと敷く事で、今年の柏の良さは上手く消せていた。しかしピッチをワイドに使ってきたダイナミックな攻めにも苦しみ、再三に渡って東口順昭のビッグセーブに救われる。
だが、前半終了間際…食野のゴールはハンドの判定で取り消された。私はリアルタイムではちょうど対角線上となる席に座っていたから、その判定に対する感想を持つには情報が足りなかった。だが帰宅してから映像で見返すと……なんというか、そもそも去年の活動中止にに始まり、宇佐美の怪我しかり、宇佐美の他にも東口や福田が長期離脱するなどした怪我人続出しかり、この前の神戸戦の件しかり……また、全ての運に見放されたかのような感情を抱くものだった。
前半は0-0。試合のスポーツ的な部分の詳細はマッチレビューの方を読んで頂きたい。
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前半は良いサッカーをしていたと思う。ただ、ガンバのプランで言えば前半で得点を取る事は必須条件だった。
今回の宇佐美のように長期離脱していたキーマンが復帰する時、宇佐美やガンバに限らずその起用法は「先発させて60〜70分ほどで途中交代」「ベンチスタートで後半のどこかのタイミングで投入」の2つが大きく分かれば一般論となる。例えばこれが、今で言う横浜F・マリノスのように2チーム分作れるようなスカッドであればそこまで深刻な問題ではないが、ガンバのような状況と宇佐美の重要性・戦術的なキーマン性を持つプレーヤーとなると、前者なら宇佐美がいる間にリードを奪う必要があり、後者なら宇佐美が出るまでをなんとか同点、最悪1点ビハインドまでで耐える必要がある。
松田浩監督は前者を選択した。そしてその前半の攻撃は宇佐美を軸に回っていた。ただ、今後も考えればこの段階で宇佐美を90分出す訳には行かないし、この前半のパフォーマンスを宇佐美に60〜70分求めるのも酷な話であり、宇佐美の運動量が落ち始めるのは人体化学として仕方のない話だった。結果としてガンバは、この試合の最大目標である「宇佐美がいる間に点を取る」という最重要ミッションには失敗した事になる。そしてその皺寄せは、ここから先の時間で確実に訪れてきた。
そこからは一気に柏の時間が始まった。
宇佐美がピッチを下がってから、どことなく歪み出して回らなくなり始めた攻撃の形と、それと同時に始まる柏の速攻の連続で繰り返されるピンチの嵐は、まるで川崎戦で宇佐美が負傷したあの日から今日に至るまでのガンバの2022年を見せられているような気分ですらあった。キーマンを超えた小腸の離脱、再び襲うコロナの刃、相次ぐ負傷者、思い描いた挑戦の崩壊、90分を過ぎたところから逃げていく勝点、理不尽にも感じてしまうような判定……そもそもと言えば、2021年の苦難だってそうだ。贔屓クラブだからと被害者意識をしているように見えるかもしれないが、ここ数年のガンバはどこか、津々浦々かき集めたありったけの不憫をぶつけられているような感覚さえ覚える。
現実は直視しなければならない。それは間違いない。不運に全ての責任を負わせたところで現実逃避にしかならない。それでもここ数年のガンバはどこか、神という神に見捨てられているような感覚すら覚える季節が続いている。…いや、季節という表現も間違っているか。春が来ようが夏が過ぎて秋が訪れてもそれは変わらなかった。見捨てられ、見放されたかのように苦境は続いた。綺麗事を好めば「明けない夜はない」だとか「止まない雨はない」だとか使える手垢のついたセリフは多いが、雨なんてそのうちまた降るし、夜が明けたところで明日も夜は来る。
ただ、そんな神に捨てられたようなガンバでも、まだ拾う神はこのクラブを諦めていないのかもしれない。捨てる神あれば拾う神ありとはよく言ったものである。今年のシーズン推移をオーバーラップするかのようだった柏の攻撃の前に、宇佐美とは異なる軌跡を辿って英雄と化した神が立ちはだかった。
結果は0-0。勝点1。
余りにも痛い引き分けだった。試合展開としては勝点1を拾ったとも言えるし、前半を勘案すればベターな結果だったと言えるのかもしれない。ただ、この季節に内容的な意味での勝点1の解釈はあまり意味を成さない。
夕陽を浴びたバックスタンドはやけに悲壮感が充満していたのを覚えているし、自分もそれを漂わせていた一人だった。内容的な改善はあって、東口順昭のファインセーブ連続という文面だけを見れば救いになる引き分けなのかもしれないが、今野泰幸復帰以降の2018年残留劇を見たガンバファンにとっては、勝点1の数字や内容以上に「"宇佐美の復帰"という最後の切り札を使ってドローだった」という事実が重くのしかかっていたように感じた。大阪ダービーや神戸戦の後のようなわかりやすい絶望感とも異なる、不思議な重たさを感じる空気を持ち帰るように混み合う大阪モノレールに乗り込むしかなかった。
しかし、家に帰ってニュースサイトに躍る選手個々のコメントを見ると、この勝点1を全身でもぎ取った東口だけは試合後、この結果をポジティブに捉えるコメントを発していた。「ホンマは勝ちが一番良い結果だけど」とした上で、「負けないのも大きな意味を持つ。最後に大きな差を持つ。前向きに捉えたい」と…。
柏戦で勝点を2点落とした事で開いた他チームとの差、次負ければ残留は1000円で挑むパチンコほどの確率になってしまう現実、そしてその次の相手が横浜F・マリノスという避けられない日程の妙……神であり英雄とも言えるGKからの言葉は慰めにはなったが、現実問題と隣り合わせになった時、それでも前に向くほどの胆力はまだ自分にはなかった。あまりにも全てが揃いすぎたこの舞台に勝点1しか乗せられなかった精神的なダメージを背負っていたのはきっとむしろ外野の方だったのだろう。
1週間後───。
ガンバはマリノスに勝った。首位のマリノスに、川崎の結果次第では優勝が決まる立場だったマリノスに、5月25日からホームで1失点もしていなかったマリノスに、今シーズン一度もホームで負けていなかったマリノスに。
宇佐美が「弱者のサッカーに徹した」と語った通り、決して美しい試合内容では無かったのは確かだ。ましてや、今シーズンが始まる前に抱いた大志とは真逆の姿を見せてしまっている事は事実ではある。それでも、日産スタジアムでの勝利に繋がるこの1週間のストーリーは誰よりも美しかった。
今になって、東口が語った言葉を素直に受け止める事が出来る。
あの日、帰ってきた我らのヒーローと、再び降臨したヒーローが掴み取った勝点1はここに来て意味を持ち始めた。捨てる神あれば拾う神ありとはよく言ったものである。神に見捨てられても、それを拾う神は、偶像崇拝に縋るよりも確かにそのピッチにいるのかもしれない。
他クラブの成績は動かせない。だから結末を断言する事はさすがに出来ないし、しようとは思わない。ただ今は、勝点1に終わったあの日見た、どこか落日のようにすら映ったあの夕陽が、再び昇り始めたような感覚である。
ではでは。