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Road to Tokyo…のようで違う話。〜東京オリンピック・五輪サッカー観戦日記〜第8話 Good bye My Ticket(2021.7.9〜2021.7.11)

前話第1話はこちら↓】

 

 

 

7月9日(金)

 

家に新しいテレビが来た。

別に五輪に合わせて買った訳ではない。単に前のテレビにガタが来つつあったのと、今よりも型の良いテレビを安く買える機会が訪れた事が買い替えが行われただけの話なのだが、結果的に五輪やEUROを新しい大きなテレビで見られるのは嬉しい。しかし「これでチケット落ちても安心だな!」なんて煽られ方もしている。

 

 

東京にはまた緊急事態宣言が出された。それに伴い、東京・神奈川・埼玉・千葉で行われる試合は全て無観客が決まり、1都3県以外で五輪を開催する茨城・静岡・宮城・北海道は制限付きでの有観客。W杯のように都市は分散開催ではないので、オリンピックはあくまで全競技を東京開催が原則だから、チケットの大半は宙に浮いた事になる。

SNSを見れば今日も東京五輪には賛否が飛び交っている。立て続けに音楽フェスが中止になった事にも絡めて「なぜ五輪だけ開催するのか…」という意見もあるが、それは少し違うと思っている。五輪だろうが音楽フェスだろうが単独のイベントだろうが、他のイベントの開催状況やフォーマットを考慮しつつも、最終的な開催可否は各々が個別に決めるべきだ。だから「なぜ各種イベントが中止になっているのに五輪だけやるの?」という五輪反対派の意見は心情としては理解できるが、同意は出来ない。逆に五輪賛成派がよくいう「五輪中止を求めるのならJリーグプロ野球にだって言うべきだ」という意見も違うだろうだと思っている。例えばオリンピックであれば、単純にEURO(欧州選手権)が有観客だったから五輪も有観客でいいだろう、有観客のEUROで感染者が多く出たのだから無観客にするべきだろうではなく、前例はあくまでサンプルとしての参考材料にとどめておくべきで、最終的には追随ではなく五輪としてどうするのかで決めるべきだと思っている。単に「なぜ五輪だけ」だけで決めてしまうと、それらはある種「自分達の時代は体罰があったんだから、お前らの時代でも体罰を受け入れろ」的な論法に聞こえてしまう時もある。綺麗事ではなく、その循環を繰り返したって崩壊しか待っていないのでは…と。

 

 

 

私がオリンピックを観れるのかどうかはまだわからない。本来であれば私のチケットの行方は7月6日に決まっていたんだけれど、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置の兼ね合いもあって7月10日に延期された。要するに今、これは前夜なのである。Jリーグプロ野球ならまだしも、五輪レベルの大会の約2週間前の時点で行けるかどうかわからない状況もなかなかに怖い。

今回のチケットは特にチケットが当たるか当たらないかではなく、自分の持つ権利が生きるか死ぬかの二択になる。1年半前に手にした権利は今、その立場が揺らいでいる。無観客になって水泡に帰した人と比べれば、まだ球をルーレットの上に投げる事が出来た分恵まれているのだろう。それと同時に、いざこのブログを公開した時に……私が行きたいと思っている事、チケットが当たる可能性を残している事を「恵まれている」と表現した時点で不快感を感じる人だっているだろう。紅白歌合戦で国立のピッチで嵐が舞い、新国立のお披露目となる天皇杯決勝が行われ、華々しく「オリンピックイヤー」と声高に叫ばれた2020年元日から1年と半年が経ったけれど、オリンピックという単語は随分デリケートな意味を持つようになってしまったと思う。殊更に開催を主張するのも、中止を強く求めるのも、どちらにしても濃い色がついてしまうようになった。つぐつぐ不思議なものである。この1年ほどで思ったことと言えば、人生とは明日の予定を考えることでさえも実は愚かなことなのかもしれない…と。明日の世界がどうなっているかなんてわからないのだから。

 

抽選結果は未明には出るらしい。起きてメールボックスを開いたその瞬間、私の7月末の運命は決まる。当たったら当たったで難しい現実にも苛まれるだろう。行きたい気持ち、落ちた方が楽かもしれないという気持ち……振り回されっぱなしだった。でも、これこそ大きな議論だけど、なんだかんだでオリンピックは特別な響きを持っていると思う。当然、そうは考えない、思わない人だっている。それもわかる。でも少なくとも私の中では特別なものだと思っている。だからこそ行きたい気持ちはあるけれど、行きたい気持ちにこれほどの葛藤を抱くような2021年に、いや、2020年になるなんて夢にも思わなかった。

 

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ルーレットの上に私にとっての五輪は乗せられ、回り始めた。だが、このルーレットの答えは赤か黒かだけではない事はよくわかっている。何色とは言わないが、きっと赤か黒かだけの話ではないし、その二択で話が決まるのならこんな事にはなっていないのだろう。

この日記の結末のほとんどは明日決まる。

 

 

 

7月10日(土)

 

7月9日付の日記を綴ったのは22:00前後。テレビから流れるバケモノの子を流しつつ、落ち着かないながらもまったりと書いていた。呑気じゃないからこそああいう文になってはいるのだけれど、今振り返れば水面下で起こる事も知らずに何と呑気な…と思う。状況とは分刻みで変わるものだ。

 

23:00を過ぎた頃の確定的な一報、その後の鈴木直道北海道知事の会見……「結論から申しますと」———鈴木知事の発した言葉と共に、私のオリンピックは終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サッカーを見るようになって15年が経つ。サッカーファンがよくやる遊びの中に「ベストイレブンを選ぼう」なんて戯れがあるが、基本的に私は自分がリアルタイムで観ていない期間…即ち2004年以前の人をあまりここには入れたくない。だからガンバ大阪ベストイレブンを考える時にパトリック・エムボマ稲本潤一を入れようとは思わないし、日本代表のベストイレブンなら三浦知良を入れようとも思わない。阪神ベストナインを選べと言われても、ランディ・バースを入れるつもりもない。過去は過去だ。過去の名勝負や名選手をリアルタイムで見られなかったとしても、そして何年後かにサッカーを見るようになった人達が「メッシ&クリロナ時代をリアルタイムで見たかったなぁ」と言い出しても、それはその時代のサッカーに生きた者に与えられた特権であって、羨ましいとしても惜しんだり悔やんだりする事ではない。

 

…そう思っていても、一つだけ……一つだけその時代のサッカーに生きられなかった事を悔やんだ歴史がある。それが日韓ワールドカップだった。ずっとそれだけを悔やんでいた。日本開催のW杯で躍動する日本代表を観たらどんな熱狂が待つのか、日本開催のW杯に集う各国スターにどんな感情を抱くのか……2018年ロシアW杯、開幕戦直後の赤の広場で繰り広げられた狂乱とサンクトペテルブルクのスタジアムで見た光景はその悔いの慰めになるどころか、一層未練と来たる東京五輪への渇望を強めた。確かにコロナ禍に関係なく今回の五輪のケチの付きようったら全方位をカバーするものではあったけれど、スポーツとしての楽しみの観点では別軸でその日を待ちわびていた。

 

 

五輪の男子サッカーには23歳という年齢制限がついていて、各五輪の対象となる年代には「◯◯世代」という異名がつく。例えば本田圭佑長友佑都内田篤人吉田麻也といった1985〜1988年生まれの面々は北京五輪に該当する世代だったので北京世代、中田英寿中村俊輔の1977〜1980年生まれはシドニー五輪に該当していたのでシドニー世代…といった具合に。そして東京五輪世代に該当するのは1997〜2000年生まれの世代。1997年生まれの私はバッチリ東京五輪世代なのだ。もちろん、出場する訳はないので烏滸がましい話である。それでもどことなく運命といえば大袈裟だが、不思議な感慨深さに包まれた同世代のサッカーファンは多いと思う。

2013年、ブエノスアイレスIOC総会を生中継で見ていた私は16歳だった。マドリードが落選し、東京とイスタンブールの二択に絞られてから発表までの諸々の挨拶やらなんやらを異常に長く感じた事を今も覚えている。次の日の学校ではみんなが「トキョォ」のモノマネをしていた。五輪に出れそうな人なんて誰もいないサッカー部だけど、放課後の部活では「我ら東京世代!」なんて言い合ったりもした。上でも書いたように、パンデミックが来ようが来まいが解決すべき問題は山積みだったのは間違いない。だがそれでも純粋に五輪は楽しみにしていたし、チケットを取りに行く事も決めていた。539日前のチケットが当選したあの日、この結末を誰が予想しただろうか。なぜよりによって今年だったのか、なぜよりによって東京だったのか……。1964年東京五輪が近代日本史の象徴的な出来事だとするならば、2020年東京五輪は近代世界史の代表的なエピソードになってしまったのは実に皮肉な話だが、こればかりは世界をかつてない混乱に陥れたウィルスを恨むしかない。

 

 

 

前にも触れた事が現実になった今でも、無観客という決定に文句や不平不満を述べるつもりも無ければ、撤回しろ、有観客にしてくれと叫ぶつもりもない。もちろん希望で言うなら有観客で五輪を見たかった。スペインという大好きなチームと、そしてそのメンバーも然りだ。だが、無観客や中止を求める声も当然だと思う。選択肢は大きく分けて「有観客」「無観客」「中止」の三択なんだろうけれど、確かな事はどれを選ぼうが、どの結末を辿ろうがそれはベストの選択では無いという事である。であれば、無観客になった事と理解はできる。仮に有観客で自分の所有するチケットが有効になったところで、考えなければならない事は色々あった。そういう意味では、無観客になったおかげで悩む必要は消えた…という考え方も出来なくはない。それでも、やっぱり五輪を待っていた立場からすれば、ある種の解放と同時に訪れたのは喪失感である。

 

情報収集も兼ねてSNSを開いた時、そこには様々な意見があった。札幌ドームでの試合に関しては「道民だけでも入れてくれれば…」という意見もあったし、「とりあえず無観客になった良かった」という意見も多くあった。どちらもわかる。ただ……無観客の決定に対して「よっしゃー!!!!」「やったー!!!!」と絵文字もいっぱい使ったりした歓喜のようなツイートを見た時は少し胸が痛んだ。五輪開催に断固反対の姿勢を示していないものは全て敵だと思う人もきっといるだろう。だが、私自身は最初から開催でも反対でも受け入れつもりでいたし、それは無観客が決まった今でも変わらない。そしてきっとそれはチケットホルダーの多くの人がそうだと思う。だからこそこれだけは言わせてほしい。せめて、せめて…せめて落ち込む事だけは許してほしい。無観客という結末を「残念」と表現することはこの決断を否定するわけではなく、東京五輪の開催が決まった2013年に思い浮かべていたことと比較しての「残念」なのだ。ギャラリーとプレーヤーの立場の違いはあれど、アスリートの無念も中身は近いのではないだろうか。その落胆にまで蓋をしたり、攻撃したりする事は果たして正義なのだろうか。この感情は無観客の決定だけの話ではなく、東京五輪開催が決まった瞬間からのトータルでの感情なのだから、一度は手にした権利が目の前から消えた事への落胆だけは感じさせてほしい。それが今の自分にはチケットの代わりに与えられた、慰めにもならない権利だと思っている。

 

 

今日、私のオリンピックは終わった。

もしかしたら、またいつか日本開催の機会はあるのかもしれない。だが、その時の自分が五輪を見に行ける状況かはわからないし、若くもないだろう。明日がどうなるかなんてわからない現実をまざまざと痛感させられたこのご時世の後では生きている事の保証もない。今はこうして、五輪のチケットを買ったあの日から続けていた日記を綴りながら、失望と落胆に酔う事で自分を慰めようとしている。

 

 

 

つづく