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砂浜のキャンバス〜ガンバ大阪 2022シーズン振り返りブログ〜第4話 OUR HERO

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【砂浜のキャンバス〜 2022シーズン振り返りブログ〜】

 

第1話 約束の時間

第2話 2022.03.06

第3話 砂浜のキャンバス(前回)

第4話 OUR HERO

 

 

オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。

 

 

 

松田浩という監督に対して、多くのガンバファンの印象は少なくとも良くはなかったはずだ。

歴がある程度長いファンなら尚更である。2007年の神戸とのアウェイゲームでの一幕は松田監督がガンバと邂逅する事を夢にも思わなかった時からもはや語り草となっていたし、ガンバファンは松田浩を間違いなくヒール視していた。実際、そういった経緯や当時のガンバと松田監督のスタイルの差異もあり、松田監督自身も「神戸に家がある僕にとって、もともとガンバは近くて一番遠いチームという印象があった」と語っている。

だが一方で、松田浩の手腕も否定しようとしていた人物もそう多くはないと思う。「好きか嫌い」と「優秀か否か」は異なるものだ。ゾーンディフェンスに関する著書を発売するほど、守備組織の構築と守備理論に長けた監督としてよく知られており、2ヶ月前にV・ファーレン長崎の監督を解任された事実があったとはいえ、そもそもその前年に長崎を建て直したのも他でもない松田浩。日本のクラウディオ・ラニエリとでも言うべきか、確かにチームの建て直し作業をさせるにあたって松田浩以上の監督がこの国にいるのか?と問えば、いたとしてもそれは決して多くはない。

時代は変わり、松田監督をヒール視していた頃のような戦い方をガンバは出来なくなっていた。露骨に片野坂知宏監督の解任準備かのようにコーチに就任させた経緯の是非こそ問われるが、この時期と状況で途中就任させる監督としては限りなくベストに近い人選だったと思う。それはこれまで監督交代のノウハウが著しく欠落していたクラブにとっては大きな進歩とも言えた。もっとも、ノウハウが欠落していた要因は大当たりした体制で黄金期を築いた副作用だった事を思うと、そのノウハウを得られてしまうような状況と化した事が皮肉ではあるが───。

なんにせよ、残り10試合を控えたガンバ大阪というクラブの命運の全ては、かつてガンバファンに最も嫌われた監督に託される事となった。

 

 

 

初陣は第26節広島戦。奇遇にも広島は松田監督が現役時代の殆どを過ごし、現在に繋がるゾーンディフェンスの概念に目覚めた場所でもある。

変化は劇的なほど明確だった。それは片野坂体制のラストゲームとなった清水戦と、この広島戦のスタメンを見比べれば一目瞭然だ。

 

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システムは片野坂監督の代名詞である3-4-2-1から松田監督の代名詞である4-4-2へ。最も大きな変化はFWで、片野坂体制では出番から遠ざかっていたレアンドロペレイラとパトリックを2トップで並べる選手起用は終了間際を除けば片野坂監督なら絶対にやらない選手起用だろう。

FWの2人だけでなく、それが良く転んだ選手も悪く転んだ選手も含めて監督交代で出場状況に大きな変化が起こった選手は多い。それは監督交代の常ではあるが、今回のガンバはそれが特に顕著だった。ましてや松田監督はこの広島戦から最終節の鹿島戦に至るまで、スタメンをほぼほぼ固定して戦い抜いている。広島戦はまだ就任から日が浅かった事もあったが、次の名古屋戦からメンバーは一気に固まり始めていく。これまでレギュラー格ですらあった倉田秋藤春廣輝石毛秀樹、中村仁郎、坂本一彩はベンチ入りの機会もままならなくなっていった。

元々松田監督は福岡でも世代交代を託され、JFAや長崎では育成にも関わっていた。本来なら若手から積極的に登用していきたい意志も本音としてあったのだろうと想起する。だが、就任するにあたって片野坂監督に求められた事と松田監督に求められた事は180度と言っていいほど異なった。試行錯誤を前提とした片野坂監督に対して、松田監督に求められたのは「結果」のみ。とにかく現在のスカッドでの最適解まで一直線に走る事だけを求められた。その為にはともかく、戦い方から人選までをガチっと固める必要があり、そして何より松田監督は「残留の為にやるべき事を強く理解していた」と表現するべきだろう。これは片野坂監督の否定ではなく、そもそも2人に求められるモノのスタートが大きく異なっていたというところである。

 

 

 

…で、話を広島戦に戻す。

実に無慈悲な試合だった。最後の20分ほどの時間で4点も叩き込んでしまう広島の無慈悲さをあまりにも恨んだ。ベン・カリファという名前を聞くだけでもはや怖い。2-5というスコアは現実そのものとしか言いようがなかった。

しかし、広島戦では前体制からの変化と、現行のスカッドでの最適解に繋がるヒントは松田監督は提示した試合だったと思う。例えるなら…これは開幕戦ではないので結果が何事にも代え難いのは言うまでもないが、松田ガンバのプレゼンとしては悪くない試合でもあった。

そしてそれは、敵地での第27節名古屋戦で遂に結実する。

 

 

実に2ヶ月ぶり、実に8試合ぶりの勝利は、松田浩の妙味が詰まったような、ソリッドで、泥臭く、そこに美しさを抱かせるような90分だった。

「勝つって難しい」…片野坂ガンバの初勝利の試合にて、片野坂監督がこぼした言葉が勝って改めて脳裏に響く。止まりかけた歴史はまた動き始めた。夏に加入した鈴木武蔵の移籍が初ゴールとなるスーパーゴラッソはまるで、鬱屈した感情が一気に弾けていくかのような…そんなカタルシスすら感じる一撃だった。

広島戦は絶望的な試合展開ではあったものの、新体制での戦い方には一定の手応えがあったものだったと思う。そう考えれば尚更、就任2試合目という段階での勝利の意味は途轍もなく大きかった。続く福岡戦は本来なら片野坂監督在任中に予定されていた試合だったが、福岡のクラスター発生により松田体制での試合に延期されていた6ポイントゲーム。ここでもアディショナルタイム、怪我で棒に振った時期を除けばガンバで最も苦しい時期を過ごしていたパトリックの2試合連続弾で2連勝。怪我から復帰した山本悠樹も強い眩さをピッチで放つ。

 

 

 

だが、付け焼き刃のカタルシスは冷たい現実に直面する。

アウェイ3連戦に続くホーム2連戦は鳥栖FC東京をパナスタに迎えたが、この2試合の結果は1分1敗で終わる。特に名古屋戦福岡戦で2連勝した勢いを提げてホームに帰ってきた鳥栖戦の0-3の敗戦は小さくないショッキング性を持ち合わていた。

そして2022年9月18日……この日、ガンバは降格にも似たほどの絶望で脳天に殴りかかられてしまう。

 

 

この試合に関してはもう、正直この場で詳細をまた書こうとは思わない(気力がない)ので、この神戸戦の感想と絶望は上記のブログに全て書いたのでそちらを読んでほしい。ブログの最終盤に書いた「『信じる者は救われ』」とか言うなら誰でもいいから助けてくれ」という言葉はこれ以上ないほどに当時の感情を述懐していると思う。

 

だが、あの時の感情の全てを書いた…と言えば嘘になる。1箇所だけ、本心では思っていたにも関わらず、まだ未完結の可能性にすがるかのようにブログには書かないようにした本音がある。

 

 

 

 

 

 

「終わった……」

 

 

 

 

 

 

大迫勇也が右足を振り抜いてからの映像がスローモーションに映る。

大迫勇也を追う神戸の選手達が作る歓喜の輪と両手を掲げて立ち上がる神戸ファンの姿を前に無音状態に近い感覚に陥った時、試合終了のホイッスルは脳天まで二重の音色で響いた気がした。それはハイライトシーンとして、あまりにも秀逸なほどに強烈なコントラストだった。

シーズン後には昌子源までもが「個人的にはヴィッセルに負けた時は、もう終わったと思いました」と述懐するほどのショックと現実を背負ったガンバの場所は、崖っぷちというよりも崖から落ちるところに生えた枝をなんとか握っているような状況。敗れた手を離せば落ちてしまうし、他チームの勝利という形でこの枝が折れるかもしれない……ブログでは「決まった」なんて言いたくなかったので書かなかったが、突きつけられたものが「降格の可能性」から「降格そのもの」に変わった事を否定しようがなかった。

 

「終わった」───それを覚悟するしかない。

神戸戦の後に与えられた2週間のインターバルは、まるで現実という名の真綿で首を締め付けられるかのような時間で、それにしてはあまりにも長過ぎた。

 

 

 

だが、瀕死とは必ずしも死す事ではない。

今思えば2018年もそうだった。このクラブはまだ万策尽きた訳ではなく、最後のカードを残していた。

 

 

2022年10月1日、それはガンバ大阪というクラブが誕生して31年が経った節目の日である。

新たなるエンブレムで迎える初めての10月1日は同時に、パナスタで実に2年8ヶ月ぶりとなる声出し応援が解禁され、何の因果か…その相手は最後にパナスタで声を出せた相手と同じ柏。

 

聞き慣れた、でも遠かった……そんな歌声が木霊するように鳴り響く。

宇佐美貴史……それはまさしく最後の希望であり、ガンバの生命力を繋ぎ止めていた最後の切り札だった。

 

 

まず宇佐美が復帰した事はスポーツ的に途轍もなく大きかった事は柏戦を見るだけでも明らかだった。

宇佐美はレアンドロペレイラと2トップを組む形で出場したが、ポジションは時にトップ下の位置に降りたり食野亮太郎やファン・アラーノの両SHとポジションを入れ替えたりしながら常にボールの中継役を担い、いわば宇佐美を噛ませる事で攻撃は実にスムーズに回っていく。そういう役割は第2話でも書いた片野坂監督も考えていたものだっただけにより強い未練に襲われるような感覚もあってのだが、その姿はまるで…そのアプローチは違えど、まるでかつてのNo.7を見ているようですらあった。

何より……ただただかっこよかった。去年の振り返りブログでも同じ事を書いたが……おそらく10〜15年ほど前、宇佐美のパブリックイメージは「献身性から最も遠いところにいる男」のような評価が多かった気がする。だが、今も同じ評価を唱えている者は、少なくとも最近のガンバと宇佐美を追ってみてはいないだろうと断言する。今の宇佐美のプレーや生き様はガンバへの献身そのものだ。宇佐美の役割時代が変化しているので、確かに一時期のような爆発的なアタックを見る機会は減ったのかもしれないが、復帰した宇佐美のプレーからはただただ凄味が滲み出ていた。エースは英雄となり、スターはやがて象徴と化す。ガンバの歴史を線として見た時、チームとしても宇佐美個人としても悪夢のようなシーズンだったからこそ、宇佐美はいよいよガンバ大阪という歴史を象徴する英雄になった。宇佐美が復帰してからの4試合は、その感慨を誇示されたような4試合だったように思う。

 

 

 

…だが、あまりにも出来過ぎた舞台に必ずしも応えられるほど今のガンバがチームとして強い訳ではない。スコアは0-0。前半こそ良い内容の試合で戦っていたが、後半…特に宇佐美が下がった後は、完全に東口順昭に救われたような試合だった。この状況ではどんな内容でも「勝点2を落とした」という表現にしかならない。それを突きつけられたような試合後のスタンドは静まり返り、沈む夕陽にすらその姿を重ね合わせようとしている。

それでも、東口が試合後に語った「負けないのも大きな意味を持つ。最後に大きな差を持つ。前向きに捉えたい」という言葉を、試合後には敗北に似たその感情を前に素直に受け止められなかった言葉を、彼らはその身と覚悟でもって証明してみせた。第32節、優勝の懸かっていた首位の横浜F・マリノスと戦った、まるでミッション・イン・ポッシブルのようなシチュエーションを制して迎えたホーム最終戦、最下位のジュビロ磐田を、そして青黒のユニフォームではない遠藤保仁を初めて迎えたこの試合は、まさにカタルシスそのものであった。

 

 

90分の中に散りばめられたいくつものドラマは歓喜を生み、そして最終節の鹿島戦……そこにあった意地と情念が導いた結末は、一つのストーリーとして美しい終着駅に辿り着く。

 

それぞれの献身は大きかった。

宇佐美が全身全霊で示した覚悟、いつも最後はどうにかしてくれた東口…宇佐美もしかり、東口もシーズンの半分を負傷で離脱している。終盤戦で決定的なゴールを連発したパトリックも、序盤は不調や戦術面での相性の悪さで不本意なシーズンを過ごしてきたからこそ、松田体制になってからの輝きには「帰ってきた」ような感覚が強かった。

チームが低迷する中でも黒川圭介はブレイクしたと言えるほどの活躍を見せたし、パトリックと同じで前半戦は大いに苦しんだ昌子も、やはり松田体制のような守備体系で仕事をさせれば、彼はこの国でトップクラスのCBである事を誇示していた。何と言っても三浦弦太である。成績が成績だった為にあまり大きく取り上げられない事は仕方ないとはいえ、今季の三浦の圧巻のプレーぶりは見逃す訳にはいかない。ガンバ大阪のNo.5として相応しい獅子奮迅のパフォーマンスはもっと評価されるべきだろう。

 

そして何よりも松田浩である。昌子のコラムではそのアプローチが詳しく書かれていたが、残留の最大の立役者は誰が何と言おうとこの男だろう。監督就任が決まった時のブログで松田監督の事を「4-4-2の魔術師」と称したが、今いる選手と自身のポリシーを重ね合わせ、魔法よりも突き詰めたリアリスティックでこのチームの最適解を生み出した。かつてガンバファンに最も嫌われていた監督は、15年の時を経てこのクラブの歴史を紡ぐ救世主になった。

選手と、各種スタッフと……それは様々なジレンマと葛藤を抱えながら何とかこのクラブを好転させようとした片野坂監督を含め、それぞれの献身の上にドラマは成り立つ。終盤戦のカタルシスに至る軌跡は美しくはなかったかもしれないが、たまらなく人間くさかった。こういう物語こそ人は美談と呼ぶのだろう。苦しみの先に辿り着いた生還は、このクラブの思い出として永遠に残る。

 

 

 

だが、間違ってはならない事が一つある。私はこの軌跡をドラマとしての「美談」と呼ぶ事に躊躇いはないが、間違っても「成功体験」だとはこれっぽっちも思わない。思ってはいけないし、成功体験である訳がない。それだけはクラブ内部の人間のみならず、ファンやサポーターだってその気持ちであるべきだろう。

片野坂体制で描いた夢は甘美なシナリオだった。砂浜に描かれた絵は実に美しい夢の形であった。そしてそれは宮本恒靖体制でもそうだった。そして共に波に掻き消されるような結末を辿った。消されても尚、消されても尚…何度も何度も絵を描こうとして、輪郭が浮かぶ度に海の中へと引き摺り込まれていく……。絵そのものは美しかったとしても、ガンバ大阪という砂浜のキャンバスはあまりにも脆かった。

それでもそのキャンバスに枝木を刺すようにして何とか波と嵐を乗り越えた松田体制を経て、2023年からはダニエル・ポヤトス監督がこのクラブの先頭に立つ。どんなに美しい絵があったとしても、キャンバスのない場所に描く絵画はいつだって脆い。「強いガンバを取り戻す」と言ったところで、過去は取り戻せるものではなく、過去は永遠に過去で在り続ける。過去の幻影を求めた土台ではなく、新たな時代としてのガンバ大阪を描かなくてはならない。そしてその為にまずは立派なキャンバスをこしらえるべきなのだ。波が覆ったとしても、それがまだ書きかけの未完の絵であったとしても、そこがいつしか立ち返る場所となるように………。

 

 

砂浜のキャンバス〜ガンバ大阪 2022シーズン振り返りブログ〜、完。