RK-3はきだめスタジオブログ

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砂浜のキャンバス〜ガンバ大阪 2022シーズン振り返りブログ〜第3話 砂浜のキャンバス

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【砂浜のキャンバス〜 2022シーズン振り返りブログ〜】

 

第1話 約束の時間

第2話 2022.03.06(前回)

第3話 砂浜のキャンバス

第4話 OUR HERO

 

 

オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。

 

 

 

じわじわと忍び寄る降格の恐怖を前にガンバは岐路に立たされていた。

15試合消化で4勝5分6敗の13位。勝点17。勝点で並ぶ降格圏の16位清水と17位湘南との勝点差は4。4つの勝点と4つの順位の差はガンバに猶予を保証するものではない事は明白だった。

3週間という期間は非常に大きい。ましてや、リーグ自体はまだ半分にギリ到達していない。いわば2度目のプレシーズンとも言えよう期間だ。ある意味、時期だけで語れば監督を交代にするには最適なタイミングである。ただ、ガンバは片野坂体制で怪我人の多発やクラスターの発生により5月は醸成もクソも言ってられないような状態だったというエクスキューズがあった。そもそもガンバはクラブとして、片野坂体制で"我慢"はマストだと捉えていた。後の報道によれば、ガンバが最初に監督解任を検討したのは7月前半だったという。即ち、この3週間を片野坂監督に預ける事に迷いは無かった。

 

6月18日、6月1日の天皇杯岐阜戦から一つも公式戦を戦っていないガンバにとって3週間ぶりの公式戦の相手は首位の横浜F・マリノスだった。

ホームとはいえ、どう考えたって不利なセッティングではある。こういうセリフになる事自体が悔しくはあるが、今やマリノス相手の敗戦はある程度仕方ないと受け入れるしかない。だがマリノス相手の勝利か、或いはこの3週間を委ねた跡のようなチームとしてのブラッシュアップが見えるような内容のゲームを見せられるか…この2つのうちのどちらかはマストで求められていた。

ダワンのゴールで先制しながらも1-2で敗れたこの試合、当然ながら前者の目標は達成出来ていない。しかし、後者に関してはある程度達成出来ていたと思う。続く札幌戦は低調な内容で敗れたが、第15節延期分の広島戦では今季絶好調の相手に対して2-0で完封勝利。続く第19節浦和戦では結末は悲劇的なドローに終わったが、前半の戦いぶりは第3節川崎戦の前半と並んで今シーズンベストの45分だったと言えるだろう。広島戦と浦和戦の前半を見てこの3週間を片野坂監督に託した事の意味を感じた人は多かったと思う。

 

 

 

大前提として、片野坂監督は宇佐美が戻ってこられないままシーズンを終える可能性を踏まえて戦術を再構築する必要性に迫られていた。開幕前のキャンプであったり開幕当初に見せたサッカーの前提とは異なり、この中断期間で片野坂監督は「宇佐美はいないもの」として戦術を組み直す必要があったのだ。その上で施した戦術的なアプローチは、全ての結末を見た今となっても決して間違ったものでは無かったと考えている。

 

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片野坂監督と言えばポゼッション主体の監督として知られ、「擬似カウンター」なんて言葉がよく使われるように、比較的低い位置でのビルドアップにこだわる監督…というのがパブリックイメージだろう。6月以降のサッカーにもポゼッション要素は残っていたし、プレッシングへの積極性は序盤戦にも垣間見えていたが、この頃のサッカーはハイライン・ハイプレスの要素がかなり強くなっていた。

 

まずは攻撃の一手目がロングボールになった。ただこれまではその行き先がパトリックだったのに対し、6月以降はコーナーフラッグ近くに変わった。これを右なら小野瀬康介、左なら黒川圭介がそれを回収する。それに対して、ワントップや2シャドー、或いはボランチが小野瀬や黒川のフォローに入り、同時に3バックはそれに追随するように高いラインを張って呼応する。ゲームエリアを高く設定し、そこからポゼッションを行う。守備はミドルゾーンに入るより前にラインを引くように、まるで野球で言うところの内野の前身守備的なシフトを組む。それによってガンバのボール保持の時間を高くし、常に「ガンバのターン」みたいな状態を続けていこうとしていた。一般的に今季のガンバのシステムは3-4-2-1と表現するが、小野瀬と黒川の立ち位置的にこの時のシステムは3-2-4-1と表現出来る。連動した守備を行う事と一人の選手に対して連続したフォローを行う事が必須のシステムであるがゆえにレアンドロペレイラやパトリックはメンバーから外れていった。3バックも昌子源より福岡将太が重宝されるようになっていった。藤春廣輝が左CBとして起用される機会が増えたことも、黒川をWBというよりSH的に考え出した部分が影響しているのだろう。

正直なところ、中断期間が明けてからは戦術家・片野坂知宏の底力を見たような気はした。結果がその説得力をことごとく奪っていったが、戦術的なレベルは決して低いサッカーではなかったと思う。諸々の状況があった中で、そのサッカーを仕込んできたところは素直に凄いと思った。第15節延期分の広島戦第19節浦和戦インパクトは大きかったし、第22節C大阪戦や第25節清水戦でもそれはピッチに反映できていた。もっと言えば、プレシーズンマッチとはいえパリ・サンジェルマン相手にすら良い内容のゲームは間違いなく出来ていたのだ。

第2話でも書いたように、宇佐美貴史の長期離脱や長期離脱者の続出もあって片野坂監督は最初に構想したプランからは大幅な軌道修正を強いられているはずだ。ましてやその多くが予防・予測できる類の怪我ではなかったからこそ、その想定外度合は相当だったはずだ(参照記事)。そういう状況の中でそれなりの完成度を持つものを仕込んでみせたのだから、そこは彼が戦術家としていかに有能であるかを示せていたと思っている。

 

 

 

だが………浦和戦の後、その悲劇的な結末の後でも希望を見た人は多かっただろう。しかし続く第20節湘南戦は0-1というスコア以上の内容で敗北。第21節川崎戦では前半7分の段階で退場者を出した影響で惨敗を喫した。

中断期間が明けた第17節横浜FM戦から第25節清水戦までの成績は1勝2分6敗。現実はあまりにも非情だった。だが同時に、宇佐美の長期離脱のようなアクシデントとは異なり、必然の結末でもあった。

 

 

 

最後の試合となった第25節清水戦はあまりにも典型的な試合となってしまった。

ガンバが1試合少ない立場ではあったが、15位清水を勝点2差で追うガンバ。この試合が全ての鍵を握っている事は明白だった。そんな中でガンバが見せたサッカーは決して悪いサッカーではなかったし、戦術的な完成度は決して低くなかったと今でも思う。

だが、それはある意味で落とし穴だった。正確に言えば、戦術的な完成度は高くなっていたからこそのジレンマが生じていた。

 

 

私は戦術とは列車と同じだと考えている。

人が電車に乗る目的は「目的地に向かう事」である。その為に現在地に近い駅の改札に入り、列車に乗り込み、目的地に向かう。列車にも様々な趣向を凝らした列車がある。食堂車があったり、販売ワゴンがあったり、くつろげる椅子、効きの良いWiFi…列車の旅を快適にする為の機能は色々揃える事が出来る。だが結局のところ、目的が達成されるのは目的地の駅の改札を抜けた瞬間であって、車内を快適にする事では無いのだ。サッカーに於いて、その目的地に辿り着くのは得点であり、勝利である。列車…即ち戦術は、あくまでそこに導く手段に過ぎない。

別の言い方をすれば、戦術は入口から部屋に入り、そして出口から出る事で初めて成立するのだ。6月以降のガンバは、試合内容や戦術的な完成度は間違いなく高まっていた。一方で、ガンバは戦術という部屋の中で出口を見つける事が出来なかった。得点や勝利は出口を出た先に生まれる。清水戦はその部分の欠如が実に色濃く出てしまった。ガンバは部屋をしっかり作りながらも出口を求めて右往左往していたのに対して、清水は入口から出口へのルートを確保し、後はそれに沿って90分を戦い抜いた。

もしこの時、ガンバの順位が10位前後ならこのまま片野坂体制に賭けた事だろう。だがこの時の順位と勝点を踏まえると、今はとにかく何かを爆破してでも出口を作らなければならない。出口までのルートをどうにかして構築しなければならない。極端な話で言えば、戦術的な高まりを見せる一方で出口が見当たらない現状が、戦術が完成しつつある成長がかえってトドメを刺し、出口を作れない現状が片野坂ガンバの最高到達点なのかもしれないという疑念を呼び起こしてしまった。清水戦は悪くなかったからこそ、堂々巡りというか、一瞬の頭打ちのような感覚を拭えなかったのは素直な感想であり、否定できない実情だった。

完成度が高くなれば見えてくると思ったゴールの場所は、完成度が高くなっても見えてこない…それを探し、彷徨う旅の行き先はJ2に向かい始めた。その事実を前にした時に我慢をしろと求めることの方が酷だった。「ガンバは我慢ができなかった」と度々言われたが、この部分に関しては強く否定したい。我慢して見えてきた戦術的な向上が突きつけた光景が堂々巡りのような結末だったという事実はあまりにも重かった。そして何より、我慢は「J2降格を許容する事」ではない。それは片野坂監督も誰よりも理解していたはずだ。結果に対して、ガンバ側がタイムリミットのギリギリのギリギリまで我慢した事も含めて……。「出来ることなら片野坂監督と心中したかった」と語った小野忠史社長の言葉は本心であり、フロント側に限らず、当時のガンバの凡ゆる葛藤の詰まった一言だったように思う。

 

 

 

ガンバに限らず、こういう不調のチームに対するニュースでは「きっかけを掴めなかった」というフレーズがよく添えられる。片野坂監督が解任された暁にも様々な媒体で目にした言葉だ。ただ、この言葉には少し違うと思っている。むしろ今季のガンバは、きっかけだけなら何度も手にした。

BBQでもキャンプファイヤーでも、火を起こす上で最も重要なのは火を点ける事ではなく、点いた火種をすぐに燃え広がる事。つまり、火が見えた直後が最も大事なのだ。きっかけも同じで、一番大事なのはきっかけを掴む事ではなく、きっかけを掴んだ次の試合。そこでどういうサッカーが出来るか、どんな結果が得られるか。チームが上昇気流に乗れるかどうかはそこで全てが決まると言ってもいい。例えば今季の場合、セレッソ大阪5月の大阪ダービーの時点ではガンバと勝点が同じだった。ダービーの時にはある程度収まっていたが4月の時点では小菊昭雄監督への懐疑論は少なくなかったし、過激な人では解任を求めるセレッソサポーターも一定数いたように記憶している。にも関わらず、シーズンが終わった時には大きな差が開いていた。ダービーで最高の形で勝利をした彼らは、その次の試合で浦和から結果・内容共に充実した勝利を手にし、そこから現在の躍進に繋げてみせたのだ。セレッソを上昇気流に乗せてしまった浦和にしても、全く勝てなかった5月を経て迎えた名古屋戦で3ヶ月ぶりの勝利を挙げると次の神戸戦では劇的勝利。一時は降格圏にすら入っていた彼らは、一時はACL圏内すら狙える位置にまで立ち位置を戻している。最終的には中位に終わったが、彼らも掴んだきっかけをモノにしてみせたと言える。

 

前例で言うならガンバだってそうだ。2020年、2位になれたのは札幌戦でシステムを変更した事以上に、システムを変更して勝った札幌戦の次の名古屋戦に勝てた事が何より大きい。降格危機に瀕した昨年も、苦虫しか噛めるものが無かったような状態で迎えた天皇杯湘南戦で快勝し、次の柏戦も勝利できた。その後札幌戦の惨敗を挟んだとはいえ、あの柏戦できっかけの火を広げる事は出来たと思う。きっかけは掴むだけでは足りない。その後が大事なのだ。

 

その上で言えば、今季のガンバにはきっかけになり得る勝利が少なくとも3回はあった。第6節名古屋戦、第12節神戸戦第15節延期分の広島戦が該当する。

名古屋戦の次の京都戦は、内容こそ悪くなかったが勝ち切れず、続く清水戦は劇的ドローと言えば聞こえはいいが、内容は手応えを感じるは程遠い試合だった。広島戦の次の浦和戦は、もしあのまま勝てていれば、上で挙げたようなセレッソや浦和のようなルートを辿れていた世界線もあったかもしれない。ただ、ここでも一度掴んだきっかけを最後の最後で手放してしまった。神戸戦の後は不運としか言いようがない。柏戦は勝利こそしたが、クラスターの発生により、掴んだきっかけは試合前の時点で丸ごとリセットされてしまった。神戸戦の後の責任を誰かに求めるのは酷だとしても、掴んだきっかけはことごとく手中からすり抜けていった。そういう灯火が吹き消され続ける経験を繰り返せば、物理と精神の両面から蝕む疲労が拍車をかけ、アディショナルタイムにトラウマ的な感覚が植え付けられていく。いつしかその悪循環が、このチームの挑戦の行き先になってしまっていた。

 

 

 

片野坂監督は解任を伝えられた時に「試合毎に少しブレてしまった」と語った。宇佐美以外にも多すぎる怪我人と絶妙なタイミングで襲ったクラスター、相次ぐ悲劇的な敗北とドロー…これらを前にした時に、果たして人間はどれだけ初志貫徹を貫けるのだろうか。パトリックやペレイラの揺れる起用法はその表れだったようにも見えた。

どこかの記事が「過剰リスペクト」と書いていたのは言い当て妙だった。それはクラブ、選手、そして片野坂監督の三角関係としてそうだったのだろう。特に片野坂監督は誰よりも戦術にこだわり、それは選手起用にも表れていた。一方で、ガンバで大分トリニータと同じやり方は出来ない、するべきではないという事も強く感じていたんだと思う。その考え自体は賢明だが、それが時に強くなりすぎた部分はあったのかもしれない。最初の頃はあまり気にしていなかったが……私の記憶の中で、片野坂監督が大分時代にスーツを着用して指揮を執っていた記憶がない。天皇杯決勝も含めて、全てジャージやトレーニングウェアだった。だがガンバでは、天候の影響がない限りはスーツを着用してベンチに座っていた。当時は気にしていなかったが、今思えばそれは実に示唆的な変化だったんじゃないか、とも思う。

呪われているかのように不運に苛まれたのは2021年5月まで指揮を執った宮本監督にも同じことが言える。ただ、宮本監督は理想と現実を問われる場面になれば、良くも悪くもスッとベターな方を、要は現実に沿ったやり方を選択する。これは以前のブログでも書いた事だが、良し悪しではなく監督としてのタイプの問題で、どちらにも転びうる事。それが良い方に転がった2020年と悪く転がった2021年という事になるのだが、おそらく性格上、宮本監督はそこのシフトチェンジに抵抗は感じないタイプなのだろうと推察する。思い残しや後悔は本人にも少なからずあっただろうが、理想と現実の狭間のようなジレンマとは少し異なるところにいたと推察している。

だが、片野坂監督はおそらくそういうタイプではない。ベターかベストを選べという場面で、彼はベストを選び続けるタイプだった。だからこそ大分トリニータはあそこまでのチームになった。そんなタイプの片野坂監督だからこそ、彼が苦しんだジレンマが、いちファンが想像できるようなレベルではなかった事だけは間違いない。ジレンマに苛まれ、蝕まれた末の姿があの憔悴し切った姿ならば、あまりにも悲しすぎる。片野坂ガンバは決して、近年台頭している監督を招聘しただけの計画ではない。片野坂ガンバはある意味、2016年に片野坂コーチを大分トリニータの監督に送り出したところから始まった。本当はヘッドコーチとして残って欲しかった。だが、将来の監督候補になり得る人材として、クラブはその痛みを受け入れた。決して片野坂ガンバは、一朝一夕で生まれた体制ではなかった。

片野坂ガンバが始まった時、確かに夢はあった。負けこそしたが、開幕戦で流れた空気は去年の停滞感とは異なるものだった。川崎戦で夢を見て、磐田戦ではチームの雰囲気の良さが目に見えて表れていた。始まりは決して悪くなかった。だが、待っていたのはこの結末だったのだ。片野坂監督には悔いが残り、僕らは未練を抱える。クラブレジェンドの末路を見た去年から、またしても甘美な夢と期待感は水泡に帰した。

 

期待感……思えばガンバはこの数年間、その言葉の幻影をずっと追い続けていたような気がする。

若手の躍動と共にスタイルが組み上がり始めたような気がした2019年、ハイプレスと想像以上に揃ったスカッドに心躍らせた2020年、その当初の設計図とは形を変えながらも2位で終えた前年から、4-1-2-3への布陣変更に可能性とロマンを抱いた2021年…………。路線変更と引き換えに結果は手にした2020年はともかく、希望、夢、ロマン……それらはいつしか、順位よりも遥か遠くの夢へと消えていくようだった。ラブソングで使い古された表現をサッカーについて語るブログで使うのもなんとなく気持ちが悪い話だが、まるでここ数年間のガンバ大阪は砂浜に書いた美しい絵の顛末を何度も眺めているような気分だった。そしてこの夏も───。負傷者の続出、堂々巡りのような顛末、繰り返される悲劇的な刹那という波の前に、何度も何度も描いた美しい絵はことごとく攫われ、海の中へと引き摺り込まれていく。大海原の摂理に乗っかった波という現実を前に、砂浜というキャンバスはあまりにも脆かった。

 

 

 

8月16日、その第一報は「突然」と呼ぶには驚きが足りなかった。

約束の物語は納得感と未練を残し、やり切れない感情と共に終焉を迎えた。

 

 

極めて困難な状況で、極めて困難なミッションを託された新監督は、あくまで現役時代に共にプレーした片野坂監督を支えるコーチという肩書きで清水戦からベンチに入っていた。

監督交代を前提にしたかのようなコーチ就任からの監督就任というプロセスが正しいのかどうかは議論の余地がある。なにより、正直なところ…私はまだ少し片野坂さんを引っ張る選択肢はあると感じていた部分を否定しない。

だが一方で、去年の宮本監督の時よりも監督交代に納得感を抱いていたのも事実だった。それは片野坂監督云々というよりも、後任の人選による理由が大きい。この状況でこのミッションを託すにあたって、この国に彼以上の人材がいるだろうか。これまで一人の監督の下で充実期と長期政権を築くことで監督交代のノウハウの欠如という欠点を招いていたクラブが、チームの低迷という皮肉な理由で得た剛腕で最後の賽を振った。

松田浩───全ての命運は、かつてガンバサポーターに最も嫌われた監督に託された。

 

 

第4話に続く。