RK-3はきだめスタジオブログ

気ままに白熱、気ままな憂鬱。執筆等のご依頼はTwitter(@blueblack_gblue)のDM、もしくは[gamba_kyoto@yahoo.co.jp]のメールアドレスまでご連絡お願いします。

砂浜のキャンバス〜ガンバ大阪 2022シーズン振り返りブログ〜第2話 2022.03.06

f:id:gsfootball3tbase3gbmusic:20230105182511j:image

 

 

 

【砂浜のキャンバス〜 2022シーズン振り返りブログ〜】

 

第1話 約束の時間(前回)

第2話 2022.03.06

第3話 砂浜のキャンバス

第4話 OUR HERO

 

 

オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。

 

 

 

このチームに期待を抱いていた者として、2022年3月6日に起こったことの全てを未練として語らない訳にはいかない。それがたとえ未練がましいと言われたとしても……もちろんこの試合にこのチームの混迷の全てを委ねることも出来ないのは間違いない。だがそれでも、この試合で起こったことは"未練"と"たられば"でしか消化できないのだ。

 

 

 

大分で名を挙げた片野坂知宏監督だが、ガンバでのチームビルディングが大分時代と同じ手法で出来るとは考えていなかっただろうし、そもそも出来る訳がなかった。片野坂監督もその事を踏まえた上でのチームの強化計画を立てていたと思う。

大分の時の片野坂監督はJ3からのスタートであり、クラブとして苦しい時期であった一方、組織的戦術をイチから構築したい監督としては仕事がし易い環境という見方をする事が出来たこれは例えば、ガンバでも2013年の長谷川健太監督1年目でも似たような事が言える)。その上で今回のガンバだが、今のJ1はまさしく群雄割拠で、実際にガンバがそういう末路を辿ったように一つの出遅れが致命傷になりかねない。ましてやガンバの場合、いざJ2に落ちた時に失うものがあまりにも多過ぎる。だからこそチームに組織的な戦術を組み込む時、出来ることと出来ないことのバランスを取りながら自然とチーム戦術を浸透させていく事は重要になってくる。

ましてや、片野坂監督もガンバで大分と同じ事は出来ないなんてわかりきっていただろうし、そもそもやるつもりも無かったはずだ。大分時代に見せた自分の哲学に基づき、これまでのガンバの選手の良さを上手くミックスさせていく事、そしてその作業を最低限の成績はキープしながら行う事だった。その為に絶対的に必要だったのが宇佐美貴史という存在だった。

 

 

 

開幕前のキャンプの段階から、片野坂監督は宇佐美をキーマンとして捉えている事を隠そうとはしていなかったし、それは誰もが認めていた。ただそれは、宇佐美のパブリックイメージに近い「フィニッシャー」や「アタッカー」「ドリブラー」とはまた意味合いの違う言葉でもあった。片野坂監督は宇佐美に対して、ポジション的な自由を与えようとしていた。いわば宇佐美をフリーマンとして活用していこうという狙いだ。

3-4-2-1の並びの時に、宇佐美のポジションは2シャドーの一角に入る。だが宇佐美はそのポジションに囚われなかった。基本的に宇佐美にはポジション的な制約がそこまで課されておらず、宇佐美の判断でフリーマン的に動いていた。ショートパスを主体とするスタイルの中で、例えばボランチや最終ラインからの縦パスを受け、ワントップや両サイドに振ったりする。常に自分がボールの中継場所になり、片野坂ガンバでの宇佐美の役割は"常に潤滑油である事"と表現できた。ボランチが展開したボールを収め、それをFWやサイドへのスルーパスに繋げる。或いはそのキープ力で後ろの選手の追い越す動きを促す…敢えて名前をつけるなら、それは"宇佐美フリーマンシステム"とも言えようものだった。片野坂監督のそういう意向は宇佐美も意気に感じていただろう。世間的には前述のようなイメージの強い宇佐美だが、近年はインタビュー記事やプレースタイルを見ても分かるように、ここ数年の宇佐美は…特に遠藤保仁がいなくなったガンバにとって、自分がゲームを作る事やゲームを回す事への意識と意欲が強くなっているように感じる。

もちろん、ここには現実的な問題も存在する。今のガンバには遠藤保仁二川孝広もいない。宇佐美が非凡なパスセンスを持ち合わせているのは確かだが、言い換えれば高い位置で決定的なチャンスメイクを出来るパサーは宇佐美しかいないのだ。山本悠樹やチュ・セジョンもパサーとしての能力に優れた選手だが、彼らはあくまでゲームメーカータイプであり、チャンスメーカーとは少し趣が異なってくる。もちろん、最終的な目標は特定の誰かに頼らなくても高い位置でパスが回る状態を作り出す事であって、片野坂監督もそれを目標としていただろうが、何度も繰り返しているようにこれはJ1リーグであり、上位に入れないだけならまだしも降格の可能性だって常に存在する。そこで、片野坂監督の目指すサッカーを浸透させつつ、早期に攻撃を回す上での最適解が"宇佐美フリーマンシステム"だった。

そしてそれが、最もピッチ上で美しい輝きを放ったのが第3節川崎戦だった。

 

 

 

第3節川崎戦、スタートの位置というか、表記上のシステムは宇佐美とパトリックの2トップ、倉田秋と齋藤未月をボランチに、両サイドハーフ小野瀬康介と山本悠樹を置いたオーソドックスな形の4-4-2だった。

だが、いざ試合が始まると、この試合のシステムはどちらかと言えば倉田と齋藤を縦関係にしたダイヤモンド型の4-4-2、或いは4-3-1-2のようにもなっていた。宇佐美を含めた中盤の5人は、ポジショナルプレー的な原則を良い意味で適度に崩していた。運動量のある倉田と齋藤が分担してスペース管理とセカンドボールへのアタックを行い、山本は内寄りのポジションを取る事で黒川圭介のオーバーラップを促す。倉田・齋藤・山本の3人はほぼ3ボランチに近い位置取りだった。左サイドよりはサイドの意識が強いが、小野瀬と髙尾瑠の右サイドでも似た循環は生まれていて、その要所要所で顔を出し、その工程を仕上げていたのが宇佐美だった。トータル的に見れば、片野坂ガンバのベストゲームは第19節浦和戦の前半だったかもしれないが、当初の理想に最も近づいたのはこの川崎戦の前半だったと思う。

このスタイルをもっと時間をかけてやり通せば、宇佐美抜きでもこの連動性を担保できたのかもしれないし、今季の最終的な目標はそこにあったはずだ。何より、この日川崎相手に見せたサッカーは……正確に言えば、前半に見せたサッカーは本当に見事だった。多くの人が、あの日のサッカーに大いなる希望を抱いた事だろう。目を疑うほどの眩さがそこにはあった。

 

 

 

だが、現実は余りに非情だった。

その追いつかれ方はともかくとして、これまで散々屈辱ばかりをぶつけられてきた川崎に「あと一歩で勝てる」という段階まで持ってきたことは全くネガティブな事ではない。問題はそこではなかった。そのサッカーを担保していた、そのサッカーを成立させる上で、重要ではなく大前提の存在だった男が突如、ピッチから姿を消した。

 

 

宇佐美がいなくなって以降、ガンバは高い位置までボールを運ぶことが出来ても、いわゆるゲームを作るところと最後にアタックに入る部分が断絶されたような状況になってしまっていた。この2つを繋ぐ役割こそ宇佐美のエリアだったのだ。それゆえに、ここからガンバは色々な制約の下でプレーせざるを得ない状況になっていってしまった。言うなれば、片野坂体制での宇佐美はハンバーグのつなぎのようなもので、それが欠けた途端、攻撃は脆く崩れやすいものになっていってしまった。

 

第6節名古屋戦、第7節京都戦はそれなりに内容の良いサッカーで勝点も獲得する事が出来たが(京都戦はドロー)、第5節福岡戦のように最終ラインを固められれば敵陣で行き場を失くし、第8節清水戦のように自陣に押し込められればパスを繋ぐ場を奪われていく。この2試合はその動機は違っても、辿り着くのは「宇佐美がいない事の影響」という同じ結論だった。比較的、この川崎戦に近い設定で結果に繋がったのが第12節神戸戦だったと思う。この試合では、川崎戦の時の宇佐美に近い役割を4-2-3-1のトップ下に入った中村仁郎がやり切っていた。だが、今度はこのタイミングでクラスターが発生してしまう。神戸戦に続く柏戦、この試合でのガンバはユース組を駆り出してようやく18人を揃えられるような状況に陥り、ここからの連戦を「絶対に誰も怪我できない」状態で戦わなければならない状態になってしまった。

柏戦が典型だったが、こうなってくると神戸戦のポジティブなところを継続して…とかそんな事さえも言ってられない。茨の道を歩む事が2022年のテーマだなんてわかってはいたが、その茨が後出しジャンケンで牙を剥いてきたような感覚というべきだろうか。通年のチームビルディングがまともに出来ないトラブルに襲われ続けた宮本恒靖元監督に続き、ガンバの監督業とはある種の呪われた職業なのだろうか。選手も外野がピッチを眺めているだけでは伝わらないほど追い詰められていたのだろう。3月から追い込まれ始めて、早過ぎる焦燥感を抱き、5月に体力も精神もすり減らした事で遂に決壊の瞬間が訪れた。史上最悪のダービー…あの昌子源レアンドロペレイラの衝突は、チームの焦燥感と張り詰めていた何かの決壊が可視化されたような象徴的なシーンだったように思える。振り返ってみると、実はこの時点ではまだ順位的にはそこまで窮地と捉えるほどのポジションではない。それでもこのクラブは今、あまりにも暗いぬかるみのような道を這うように進んでいた。理想が見えた瞬間があったからこそ、その意味は尚更重くのしかかっていた。そんなことを考えながら、ヨドコウ桜スタジアムのバックスタンドであの衝突を見ていた。

 

 

無論、そもそも選手が一人いなくなったところで脆く崩れるチームを作る事の危うさは誰もが理解している。だがそれでも、片野坂監督の下で新しいチャレンジをするにあたって、誰か一人をわかりやすいキーマンにする事は結果を出しながらチームを創り上げていく上で重要だったし、そしてそれに相応しい選手がいるのならば自然な流れだった。だからこそ、第3戦という時点でその"一人"が最短でも半年、「最悪の場合…」という枕詞がつかないくらいの確率でシーズンアウトも考えられた重傷を負ってしまった事は宇佐美本人は勿論、クラブや片野坂監督にとって考えられないほどの不運だったとしか言いようがない。

もしボールの軌道が、脚の置き場が、その立ち位置があと0.1ミリでもズレていたら、そこには違う未来があったんじゃないか……今でもそんな感情が脳裏に走る。

 

 

 

中断期間前の最終戦となる第16節鳥栖戦を1-2で落としたガンバは、1試合未消化の15試合で4勝5分6敗。勝点17で13位だった。6月1日の天皇杯2回戦の岐阜戦を終えると、ルヴァン杯では既に敗退していたガンバは6月18日まで公式戦がない。リーグ自体、第16節からここから3週間の中断に入る。

その3週間でこのクラブは早急な立て直しと、そしてあらゆる事の建て直しが求められた。片野坂監督にはある種、宇佐美は戻ってこないものとしての路線変更が求められ、クラブを取り巻く鬱屈した空気からなんとかもがこうとする気力だけを原動力に、首位のマリノスと対峙する再開初戦に備える…備えるというよりも、そこに向けてまた作り直さなければならない事はあまりにも多かった。そしてここから、片野坂知宏の監督としての意地と、そして致命傷と同義となったジレンマが訪れることになる。

 

 

第3話に続く。