RK-3はきだめスタジオブログ

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【Jリーグ30周年記念】Jリーグ史上最強!黄金期王者決定戦!Part1

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いつの時代にも、その都度に栄華を謳歌する者は現れるものです。

それが長く続く繁栄でも、儚い幻のような季節でも……その時期は歴史と思い出に美しい影として残る。それをいつしか人々は「黄金期」もと呼ぶようになったのでしょう。

 

 

 

Jリーグが生まれて30年。

"時代の王者"はその役割を他のクラブに回しながら、どの時代にも常に概念として存在し続けました。

はい、今回の企画はJリーグ30周年記念Jリーグ史上最強!黄金期王者決定戦!】でございます。

 

 

…まぁ、簡単にいえばよくやる「史上最強チームはどこだ?」的なやつなんですけども。その方式でやるとどうしても、例えば「2001年のジュビロ磐田」と「2002年のジュビロ磐田」を、メンバーはほとんど同じだけどどっちも上位に置かざるを得なくなる訳じゃないですか。なので、そういうチームは「2001-2002年のジュビロ磐田」といった具合に、その強さを継続していた時代を2〜4年単位でカウント。逆に「1年だけ異常に強かった」みたいなチームはカウントしない事で、史上最強チームというよりも「どの黄金期が最も強烈だったか?」を考えてみたいと思います。

 

 

 

…とは言っても、正直…こういうのは非常に順位が決めづらい。純粋にタイトルの数で順位を決める人もいれば、試合内容の圧倒具合で決める人もいるでしょう。或いは強力な選手層で決める人もいるでしょうし、逆にそこまで厚い選手層じゃないのにこの成績を出したというところをポイントにする人もいるはず。

という訳で今回は、此方で「これは黄金期ですわ」と呼ぶべきクラブの一時代を15個選出してみました。あとは皆様で各々の基準で順位付けをして頂ければと思っております。ランキング方式というよりはノミネート方式ですね。全部で15チーム紹介していきますので、5チームずつを3回に分けて更新予定です。

「俺はこう順位を付けたやで!」みたいなご感想もブログのコメント欄はもちろん、Twitter(DMないしはコメント)質問箱でドシドシお待ちしております(ノミネートしてないところからぶっ込んでくれてもOK!)。多くコメントが集まったらNoteかどっかで集計記事的なものを書いて紹介させていただくかもです。待ってるね♡

 

Part2Part3こちら

 

Jリーグ30周年記念特集こちらから!

 

オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。

 

 

 

ノミネート No.1

1992〜1995年のヴェルディ川崎(現:東京ヴェルディ)

 

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監督:ぺぺ(1992)→松木安太郎(1993,1994)→ネルシーニョ(1995)

期間中の獲得タイトル:J1リーグ(1993,1994)、ステージ優勝(1993②,1994②,1995②)、ナビスコ杯(1992〜1994)、ゼロックス杯(1994,1995)、三和銀杯(1994)

1992年:ナビスコ杯→優勝、天皇杯→準優勝

1993年:J1→優勝、ナビスコ杯→優勝、天皇杯→ベスト8、アジアクラブ選手権→4位

1994年:J1→優勝、ナビスコ杯→優勝、天皇杯→2回戦敗退、アジアクラブ選手権→3位、ゼロックス杯→優勝、三和銀杯→優勝

1995年:J1→準優勝(年間勝点1位)、天皇杯→ベスト8、アジアクラブ選手権→準々決勝、ゼロックス杯→優勝、三和銀杯→準優勝

ホームスタジアム:等々力陸上競技場国立競技場

 

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「圧倒的主役感」と「圧倒的ヒール感」の両面を併せ持った言わずと知れたスーパースター集団。Jリーグブームの主役として当時の子供達の憧れを深緑のユニフォームに集めた。

もちろん他の追随を許さないほどの強さを誇っていたことは間違いないが、何より"カリスマ性"が強く、その点で言えば今後どれだけ強いチームが、どれだけ豪華選手層を誇るチームが現れても追い越せないのかもしれない。当時のヴェルディのやり方は読売の運営や後々ツケを払うハメになる事も含めて賛否はあるが、失敗が許されなかったJリーグを軌道に乗せる上で絶大な役割を担った事は確かである。

初代王者という事もあって、やはり優勝した1993,1994年がフォーカスされがちだが、ファンの間ではネルシーニョ監督が就任して戦術面が整えられた1995年のチームこそ最強という意見も根強い。しかし年間勝点こそ1位だったが、CSで横浜マリノスに敗れて3連覇は逃している。

 

 

 

ノミネート No.2

1996〜1998年の鹿島アントラーズ

 

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監督:ジョアン・カルロスゼ・マリオ(1998.8〜)

期間中の獲得タイトル:J1リーグ(1996,1998)、ステージ優勝(1997①,1998②)、ナビスコ杯(1997)、天皇杯(1997)、ゼロックス杯(1997,1998)

1996年:J1→優勝、ナビスコ杯→GS敗退、天皇杯→ベスト8、サントリー杯→準優勝

1997年:J1→準優勝(年間勝点1位)、ナビスコ杯→優勝、天皇杯→優勝、ゼロックス杯→優勝

1998年:J1→優勝(年間勝点2位)、ナビスコ杯→ベスト4、天皇杯→ベスト4、アジアクラブ選手権→GS敗退、ゼロックス杯→優勝

ホームスタジアム:茨城県立カシマサッカースタジアム

 

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1993年のJリーグ開幕ステージを制した鹿島だったが、その後は低迷という程ではないがやや伸び悩み。そんな中で、J開幕当初は若手だった秋田豊相馬直樹本田泰人といった選手が成長した頃に、Jリーグ開幕当初の名物ブラジル人トリオを解体した上で現役ブラジル代表のレオナルドやジョルジーニョを入れると、1996年には遂に悲願の初優勝を達成した。

磐田との2強の構図がハッキリとした1998年も年間優勝を果たしたが、多くの関係者が「鹿島史上最強」と口を揃えるのは1997年のチーム。ビスマルクジョルジーニョのゲームメイクに名良橋晃相馬直樹の超攻撃型SBが絡む攻撃で得点を量産した。しかし同年はナビスコ杯と天皇杯を制しながらも、チャンピオンシップでは磐田の前に敗れて準優勝となった。

 

 

 

ノミネート No.3

1998〜2000年の清水エスパルス

 

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監督:オズワルド・アルディレススティーブ・ペリマン(1999〜)

期間中の獲得タイトル:ステージ優勝(1999②)、アジアカップウィナーズカップ(99-00)

1998年:J1→3位、ナビスコ杯→ベスト4、天皇杯→準優勝

1999年:J1→準優勝(年間勝点1位)、ナビスコ杯→ベスト8、天皇杯→ベスト8、ゼロックス杯→準優勝

2000年:J1→8位、ナビスコ杯→ベスト8、天皇杯→準優勝、アジアカップウィナーズカップ→優勝、ゼロックス杯→準優勝、アジアスーパー杯→準優勝

ホームスタジアム:日本平スタジアム

 

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サッカー王国・清水は唯一の市民クラブとして誕生したが、成績こそ悪くはなかったが1997年には経営危機を迎えるなど難しい時期も長かった。しかし元々、やはり人材は地元から多く育つ土壌であったり、この土地の文化であったりとポテンシャルに疑いようがなかったところでアルディレス監督を招聘。1996年にナビスコ杯を制すると、いよいよ清水の黄金期は完成に至る。

その後アルディレス監督から指揮権を引き継いだペリマン監督体制では澤登正朗を中心に市川大祐とアレックス(現:三都主アレサンドロ)という破壊力抜群の両WBに、これまでの日本代表に呼ばれた選手、これからの日本代表に呼ばれる選手を揃えていた。1999年には2ndステージ制覇も達成。しかし清水は年間勝点で2位磐田を大きく突き放していたが、静岡ダービーとなったチャンピオンシップではPK戦の末に敗れた。今尚語り継がれる伝説のチャンピオンシップは、清水が最も戴冠に近づいたその瞬間だった。

 

 

 

ノミネート No.4

2001〜2002年のジュビロ磐田

 

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監督:鈴木政一

期間中の獲得タイトル:J1リーグ(2002)、ステージ優勝(2001①,2002①②)

2001年:J1→準優勝(年間勝点1位)、ナビスコ杯→準優勝、天皇杯→ベスト8、アジアクラブ選手権→準優勝

2002年:J1→優勝、ナビスコ杯→ベスト8、天皇杯→ベスト8

ホームスタジアム:ヤマハスタジアム静岡スタジアムエコパ

キープレイヤー:服部年宏名波浩奥大介藤田俊哉福西崇史

 

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Jリーグの歴史に燦々と輝く"N-BOX"…通常の3-5-2とは異なる配置で名波浩を文字通りの中央に置いた「世界クラブ選手権(現:クラブW杯)レアル・マドリードに勝つ為のシステム」は、今なおJリーグの歴史の中で伝説的なシステムであり、そしてジュビロ磐田黄金期を他クラブの黄金期と比較しても特別なものに昇華させた。爆発的に高い中盤構成力と究極の破壊力を持つ2トップで形成したスタメンはほぼ全員が当時の日本代表。当時は90年代後半から続く鹿島とのライバル関係も印象的であった。

ただし、名波の負傷離脱によりN-BOXが実際に採用された試合数は10試合にも満たなかった上に、N-BOX採用の最たる動機だった世界クラブ選手権は中止の憂き目を見た。Jリーグでも2ndステージの優勝を鹿島に譲ると、名波不在のまま迎えたCSでは年間勝点で17点も下の鹿島に敗れて年間優勝を果たせないという悲劇的結末を辿る。N-BOXが未だに伝説として語り継がれているのは、結局10試合も実現しなかった儚さと物語としての切なさが各々の未練を醸成させた部分は強いのかもしれない。

ただ、当時の磐田はN-BOX云々を抜きにしても圧倒的な実力を誇っていたことには違いなく、完全優勝だけを目的とした2002年はN-BOXを封印したオーソドックスな3-5-2を採用し、目標通り圧倒的な強さでの両ステージ制覇を実現した。

 

 

 

ノミネート No.5

2003〜2004年の横浜F・マリノス

 

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監督:岡田武史

期間中の獲得タイトル:J1リーグ(2003,2004)、ステージ優勝(2003①②,2004①)

2003年:J1→優勝ナビスコ杯→ベスト8、天皇杯→ベスト8

2004年:J1→優勝(年間勝点2位)、ナビスコ杯→ベスト8、天皇杯→ベスト16、ACL→GS敗退、ゼロックス杯→準優勝、A3杯→準優勝

ホームスタジアム:日産スタジアム国立競技場

 

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これ以前のマリノスといえば豊富な資金力を武器に、大型補強はJクラブの中でも最もと言っていいほど積極的に行い強豪ではあり続けていたが、2000年の2ndステージ制覇を除けばことごとく鹿島と磐田の後塵を拝するシーズンが続き、挙句2001年には残留争いにまで巻き込まれた。そして2003年、奥大介久保竜彦ユ・サンチョルらの獲得と共に迎えられたのが監督・岡田武史だった。

堅守速攻を武器にしながらも奥と遠藤彰弘というテクニカルなMFがいた事で堅守速攻に留まらない幅を得たチームは、久保を筆頭にマルキーニョスなど多彩なアタッカー陣の活躍もあって前年の磐田に次ぐ両ステージ制覇の完全優勝を達成。2003年の優勝は鹿島と磐田以外の優勝チームは1995年のマリノス以来だった。特に2ndステージ最終節での磐田との優勝を懸けた直接対決Jリーグ史上屈指のドラマとも称されている。

2004年は新たに台頭した浦和の存在もあって順風満帆とはいかないシーズンになったが、それでも1stステージ制覇により史上初のステージ3連覇を達成し、最後は浦和とのチャンピオンシップを制して連覇を達成。リーグ以外の成績がことごとく振るわなかったのは惜しいところだが、それでもJの歴史に燦々と輝くチームだった。

 

 

 

Part2につづく!

 

N-BOXはリアルタイムで見たかったよ…

ではでは(´∀`)