Jリーグが生まれて30年。
はい、前回に引き続きまして、本日の企画はJリーグ30周年記念【Jリーグ史上最強!黄金期王者決定戦!】でございます。
企画概要なるものについては前回のところから読んでもらえたらと思うのですが、…まぁ、簡単にいえばよくやる「史上最強チームはどこだ?」的なやつっちゃ的なやつ。しかし、その方式でやるとどうしても…例えば「2020年の川崎フロンターレ」と「2021年の川崎フロンターレ」を、メンバーはほとんど同じだけどどっちも上位に置かざるを得なくなる訳じゃないですか。なので、そういうチームは「2020-2021年の川崎フロンターレ」といった具合に、その強さを継続していた時代を2〜4年単位でカウント。逆に「1年だけ異常に強かった」みたいなチームはカウントしない事で、史上最強チームというよりも「どの黄金期が最も強烈だったか?」を考えてみたいと思います。
…とは言っても、正直…こういうのは非常に順位が決めづらい。純粋にタイトルの数で順位を決める人もいれば、試合内容の圧倒具合で決める人もいるでしょう。或いは強力な選手層で決める人もいるでしょうし、逆にそこまで厚い選手層じゃないのにこの成績を出したというところをポイントにする人もいるはず。
という訳で今回は、此方で「これは黄金期ですわ」と呼ぶべきクラブの一時代を15個選出してみました。あとは皆様で各々の基準で順位付けをして頂ければと思っております。ランキング方式というよりはノミネート方式ですね。全部で15チーム紹介していきますので、5チームずつを3回に分けて更新予定です。
「俺はこう順位を付けたやで!」みたいなご感想もブログのコメント欄はもちろん、Twitter(DMないしはコメント)や質問箱でドシドシお待ちしております(ノミネートしてないところからぶっ込んでくれてもOK!)。多くコメントが集まったらNoteかどっかで集計記事的なものを書いて紹介させていただくかもです。待ってるね♡
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Jリーグ30周年記念特集はこちらから!
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オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。
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ノミネート No.6
2003〜2006年のジェフユナイテッド千葉
監督:イビチャ・オシム
期間中の獲得タイトル:ナビスコ杯(2005,2006)
2003年:J1→3位、ナビスコ杯→GS敗退、天皇杯→ベスト8
2004年:J1→4位、ナビスコ杯→GS敗退、天皇杯→4回戦敗退
2005年:J1→4位、ナビスコ杯→優勝、天皇杯→ベスト16
2006年:J1→11位、ナビスコ杯→優勝、4回戦敗退、A3杯→準優勝
ホームスタジアム:市原臨海競技場→フクダ電子アリーナ(2005〜)
イビチャ・オシムという指導者の来日はジェフはおろか、Jリーグの域を越え、日本サッカーに於いてあまりにも革命的な出来事だった。2001年は上位進出を果たしたとはいえ、当時は弱小チームとも称されたチームに降り立った稀代の名将が織りなすサッカーは娯楽性と合理性の両面を兼ね備えており、当時のジェフは国内でも屈指の洗練されたチームに化す事となる。もちろんオシム監督の指導力あってこそではあるが、同じくJのお荷物扱いされていたガンバ大阪と同様に、弱小と呼ばれた時代でもユースを中心とした育成にはしっかり取り込んでいた事は躍進の大きな鍵となった。
しかしナビスコ杯を獲得して迎えた2006年、5位で中断期間を終えた千葉はオシム監督を日本代表に引き抜かれる形で手放す事となる。同年はナビスコ杯こそ連覇したが、眩いばかりの夢はいつしか先の見えない暗闇へと転がり始めていった。
ノミネート No.7
2004〜2007年の浦和レッズ
監督:ギド・ブッフバルト→ホルガー・オジェック(2007〜)
期間中の獲得タイトル:J1リーグ(2006)、ステージ優勝(2004②)、天皇杯(2005,2006)、ACL(2007)、ゼロックス杯(2006)
2004年:J1→準優勝(年間勝点1位)、ナビスコ杯→準優勝、天皇杯→ベスト4
2005年:J1→準優勝、ナビスコ杯→ベスト4、天皇杯→優勝
2006年:J1→優勝、ナビスコ杯→ベスト8、天皇杯→優勝、ゼロックス杯→優勝
2007年:J1→準優勝、ナビスコ杯→ベスト8、天皇杯→4回戦敗退、ACL→優勝、クラブW杯→3位、ゼロックス杯→準優勝、A3杯→3位
ホームスタジアム:埼玉スタジアム2002、さいたま市駒場スタジアム
個人的に、「チート」という言葉が最も似合うチームはこの頃の浦和だったように思う。ブッフバルト体制の3年間のJ1では優勝が1回と準優勝が2回。その2回のうちの1回も年間勝点では1位だった事を思うと、これはなかなか凄まじいアベレージと言えた。闘莉王、坪井慶介、鈴木啓太、長谷部誠といった次々と代表クラスに育つ選手が増える中で都築龍太、三都主アレサンドロと日本代表を立て続けに獲得して2006年には小野伸二も復帰。極め付けはワシントンとポンテのゴールデンコンビ……チートというか、泣く子も黙るというか…。
2007年にはオジェック監督にスイッチし、日本勢初のACL優勝を達成。クラブW杯ではACミランと対戦したが、今ほど世界との距離にリアリティを感じなかった当時、Jリーグクラブが公式戦でACミランと戦うシチュエーションは感動以上に不思議な感覚があったことをよく覚えている。だが、クラブW杯のほんの数週前、2007年の最終節横浜FC戦…この試合から浦和の栄華は暗転する事に陥る。
ノミネート No.8
2005〜2008年のガンバ大阪
監督:西野朗
期間中の獲得タイトル:J1リーグ(2005)、ナビスコ杯(2007)、天皇杯(2008,2009)、ACL(2008)、ゼロックス杯(2007)
2005年:J1→優勝、ナビスコ杯→準優勝、天皇杯→ベスト8
2006年:J1→3位、ナビスコ杯→ベスト8、天皇杯→準優勝、ACL→GS敗退、ゼロックス杯→準優勝、A3杯→準優勝
2007年:J1→3位、ナビスコ杯→優勝、天皇杯→ベスト4、ゼロックス杯→優勝
2008年:J1→8位、ナビスコ杯→ベスト4、天皇杯→優勝、ACL→優勝、クラブW杯→3位、パンパシ杯→優勝、スルガ銀行杯→準優勝
ホームスタジアム:万博記念競技場
ヴェルディに1-7で敗れ、当時の川淵三郎チェアマンに「ガンバなんて消えてなくなれ」と言われた1994年から11年の時を経て、ヴェルディに7-1で勝利したあの瞬間、このクラブの歴史は大きく変わった。西野監督就任以降、コンスタントに上位に付ける事が出来てはいたが届かなかった壁をようやく壊したのが2005年。あの劇的な優勝はその日を単体で見ても、その一年で見ても、それまでの全ての歴史で見てもあれ以上のカタルシスを感じるものはないかもしれない。
ただ、個人的には2005年と2006・2007・2008年の3シーズンはやや毛色が違うように思う。むしろ、ガンバ史上最強と呼ぶべきは2005年の後の3シーズンだった。2005年はやや勢いに身を委ねた部分もあったが、2006年からはその成熟度が格段に増す事となり、それは後に遠藤保仁・橋本英郎・明神智和・二川孝弘の黄金の中盤に代表される「華麗なパスサッカー」に繋がっていく事となる。スター揃いの陣容、魅惑の攻撃サッカー、毎年台頭してくるユース育ちの若手、そして好成績……自分がガンバファンであるというバイアスがかかっている事は否定しないが、あの頃のガンバにはサッカークラブが望むものの全てが詰まっていたように思う。そしてその象徴が2008年のACLを制して手にした挑戦権を突きつけたマンチェスター・ユナイテッドとのクラブW杯準決勝で、当時の日本サッカーの立ち位置を踏まえて見たあの試合の感動は、それに勝るものを求めることが難しいほどの大きさだった。
ノミネート No.9
2006〜2009年の川崎フロンターレ
監督:関塚隆→高畠勉(2008.4〜2008.12)→関塚隆(2009〜)
期間中の獲得タイトル:なし
2006年:J1→準優勝、ナビスコ杯→ベスト4、天皇杯→ベスト16
2007年:J1→5位、ナビスコ杯→準優勝、天皇杯→ベスト4、ACL→ベスト8
2008年:J1→準優勝、ナビスコ杯→GS敗退、天皇杯→ベスト16
2009年:J1→準優勝、ナビスコ杯→準優勝、天皇杯→ベスト8、ACL→ベスト8
ホームスタジアム:等々力陸上競技場
近年の川崎が魅惑のポゼッションサッカーで織りなすテクニカルなチームならば、この頃の川崎はスピードとパワーに溢れる爆発的なタレントを中村憲剛が操るストロングスタイル的な強さを持つチームだったと言えよう。ガンバとは角度の異なる超攻撃的スタイルで、この両者の対決はノーガードゲームを期待して見る人が多かった。
特筆すべきは2004年にJ1昇格したチームのベースでそのままJ有数のクラブに上り詰めた事で、2006年以降は鹿島やガンバと度々壮絶な優勝を争う事になる。だが、2006年から2009年までの間にJ1準優勝3回、ナビスコ杯準優勝が2回と、タイトルはゼロ。シルバーコレクターという響きはそのチームやハイアベレージを称える意味も無くはないが、その言葉の響きは長年中村憲剛を苦しめるに至った。そういう意味でも、当時の川崎はある意味ではタイトルを獲れなかったからこそのロマンがあるチームだったのかもしれない。
ノミネート No.10
2007〜2009年の鹿島アントラーズ
監督:オズワルド・オリヴェイラ
期間中の獲得タイトル:J1リーグ(2007〜2009)、天皇杯(2007)、ゼロックス杯(2009)
2008年:J1→優勝、ナビスコ杯→ベスト8、天皇杯→ベスト16、ACL→ベスト8、ゼロックス杯→準優勝
2009年:J1→優勝、ナビスコ杯→ベスト8、天皇杯→ベスト8、ACL→ベスト16、ゼロックス杯→優勝
ホームスタジアム:茨城県立カシマサッカースタジアム
鹿島と磐田の2強時代が終わり、ガンバと浦和の時代が到来。ヴェルディは既に没落の一途を辿り、マリノスもいつの間にか中位に沈むようになる。実際、鹿島も古豪になりかけていたが、そういう背景を踏まえると2007年の大逆転優勝の意味がより一層重いものに感じるようになる。低迷から抜け出した鹿島は復活どころか、現時点でJリーグの歴史で唯一となる3連覇を達成。毎年のように川崎やガンバの激しい猛追を受けながらも、最後はそれらを振り切り続けていた。
鹿島と言えば徹底的にソリッドなチームで、それはこの3連覇の時期も当然そうなのだが、その中で野沢拓也と本山雅志という2人のテクニシャンを2列目に配置していたのは大きなポイントで、堅さだけではないファンタジック感を織りなす事に繋がったとも言える。小笠原満男や中田浩二といった選手がベテランになり、世代の移り変わりも上手く肥やしとしてチームに溶かす事が出来ていた。鹿島の矜持を見た3連覇だった。
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2005はいつ見ても泣けるよ…
ではでは(´∀`)